先日、音楽関係者や自治体関係者にとってはショッキングなニュースが流れました。
日本最大級の音楽フェス「ロック・イン・ジャパンフェスティバル」通称"ロッキン"が20年間開催を続けてきた茨木県ひたちなか市での開催を諦めたのです。
今後は千葉市での開催を目指します。
コロナ禍での地元住民との合意形成の難しさが背景にあります。
「ロック・イン・ジャパンフェスティバル」は先行した洋楽を中心の「フジロックフェスティバル」に対抗して、邦楽フェスティバルとして2000年に始まりました。
場所はひたちなか市の「国立海浜公園」で毎年夏に開催されてきました。
第1回目の参加者は2日間で約6万人だったものが、19年には5日間で33万人を突破し、日本最大の音楽フェスとなっていました。
コロナ感染対策が原因で20年は開催を見送り、21年は規模を縮小して感染対策も行いながら開催する準備を進めてきていました。
もちろん地元自治体との協議も行い着々と準備が進んでいました。
ところが開催1ヵ月前に茨城県医師会から開催を中止または延期するよう要請が発せられました。
その5日後に総合プロデューサーの渋谷陽一さんが中止を表明しました。
直前になっての中止要請や医師会のいう「感染拡大」の基準の曖昧さなど医師会への不信ともとれる心情が滲んだ声明となっていました。
渋谷さんは「これだけやってもフェスを受け入れてもらえないんだと大きな困難を感じた」と話しています。
この時点でこれまでの準備にかかった経費は軽く億を超えるのでは言われていました。
ひたちなか市の会場では、ステージの配置や観客移動の動線などが、万全な感染対策を施すには難しいと言う結論で落ち着いたようです。
そこでなんとしてもフェスを継続させるために、会場を変更せざるをえないことになりました。
しかし、これまで「ロック・イン・ジャパンフェスティバル」は地元経済にとって大きな収入源となっていました。
地元観光協会によれば、1年の収入の半分をこのフェスで得ることができる旅館業者もいましたし、経済効果的に見れば10億円以上の損失が見込まれるとのことです。
市観光振興課も「外から見たときの(ロック・イン・ジャパンフェスティバルは)市の象徴的な存在であったので、この打撃は言葉にできないほど大きい」といいます。
今回の移転は、今後のフェス文化に大きな影響与えることになりそうです。
その他のフェスも現在の会場での開催が困難になれば、その誘致に手をあげる自治体も多数出てくるはずです。
今回の移転騒動は地域とフェスのあり方が問われた大きな出来事となりました。
なんとか地域とフェスが共存共栄できることを願わずにはいられません。