hayatouriの日記

はやとうり の独り言

小栗判官と照手姫の物語  その1

 

話は前後しましたがここからしばらく「小栗判官と照手姫」の物語を紐解いてみたいと思います。


私も知らなかったところがたくさんありましたし、まとめていて面白い物語だと感心しました。


以下いくつかの文献を参考に、私なりに現代風にお話をまとめてみました。

 


紀元1400年代前半、京都の大納言家の嫡男小栗判官は鞍馬参詣の途中、その美貌を深い池に住む大蛇に見染められてしまいます。


歳の頃なら17〜18歳の美女となった大蛇は夜な夜な小栗との契りを結びます。


ところがこのことがいつか世間に漏れ、「恐ろしや、池の大蛇が小栗のもとに忍び通って行くわ」と京の街の噂になりました。


このため、父の大納言の怒りに触れた小栗判官は、常陸国(茨木県)に流されます。


常陸の田舎で失意の日々を送る小栗は、ふとしたことから横山の別当の末娘で絶世の美女、照手姫と夫婦の契りを交わすこととなりました。


しかしそれが原因で横山の別当の恨みをかった小栗は毒酒を盛られて殺されてしまいます。


照手姫もまた、父の目を盗んで不義を働いた娘ということで木できた檻に閉じ込められ、そのまま相模川の河口に沈められることになりました。


毒殺された小栗の屍は土葬され、その魂は地獄に落ちていきます。


しかし小栗の非業の死を憐れんだ閻魔大王(えんまだいおう)は、小栗の胸に木札をつけて人間界に送り返してやるのです。


これはちょうど小栗が死んで3年目の事でした。


ちょうどその頃、小栗塚の近くを通りかかった藤沢の上人、明堂(めいどう)は、突然、目の前の塚が4つに割れて、その地の中から得体の知れない生き物が這い出てきたのを見て驚きました。


蓬髪(ほうはつ:生え茂ったよもぎがごとき乱れ伸び放題の髪の毛)がむらがりたち、顔の肉は崩れ、両眼はなく、やせかれて糸のように細長い手足を動かし地べたを這い回る姿は、人間と言うより、人の形をした蜘蛛に近いひどい姿であったのです。


この奇怪な生き物の胸にかかっている木札を目に止めた上人が、そばに寄ってみると


「このものを藤沢のお上人ーめいどうーの仏弟子としてお渡しもうす。熊野本宮湯の峰の湯に入れてたまわれ」


と自分の名が書かれて、閻魔大王の手判がおされているのでした。


それを一目見るなり明堂は「なんとありがたいこと」と念仏を唱え、足も腰も萎え果てていた小栗を連れて帰るのです。


そして、餓鬼病み(癩病)として生き返った小栗を餓鬼阿弥と名付けて、土車(いざりぐるま:いまでは使いませんが昔はそうよんだそうです)を作って乗せました。


そして「この者を引く者、一引き曳いたは千僧供養、二引き曳いたは万僧供養」と、閻魔大王の胸札に書き添えて、明堂自らが土車の手綱を引いたのです。


千僧供養と言うのは、千人の僧を招いて供養をするほどの功徳があるという意味です。


こうして業病に病み崩れた小栗を乗せた土車は、熊野権現のご利益を願う善男善女たちの手から手に引かれて熊野への道をたどっていくのでした。

 


一方、木の檻に閉じ込められた照手姫は、父の家来によって小舟に乗せられます。


今まさに重石をつけて沈められようとしますが、あまりに痛々しい姫の姿に哀れを覚えた家来によって重石は切り落とされます。


そして木の檻のまま照手姫を海に流しました。


波間を漂い、武蔵の国の六ヶ浦に流れついた照手姫は、漁師の長をしている太夫に助けられます。


ところが今度はまもなく、強欲な太夫の女房の手で人買いに売渡されてしまうのです。


流れ姫(遊女)の境遇になった照手姫は、生きながら人間界の魔の道を踏み迷っていくのです。


つづく