「時は金なり」ということわざがよく使われるように「時間」の感覚というのは人間にとって大変大事なものです。
例えばスポーツなどでも昔は手動でストップウォッチを押して時間を計っていたものですが、今ではコンピューターなどを駆使し100分の1秒単位での勝負が行われています。
少し時間は遡りますが6月10日は「時の記念日」でした。
「きちんと時間を守り、時を大切に無駄がないように意識しよう」というのは生活の合理化を進める目的で、1920年(大正9年)に制定されました。
この記念日がらみで、昔の日本の時間の概念につい調べてみました。
かつては何時何分といった呼び方はなく、十二支や数字で表していました。
時の記念日が6月10日になった理由は、「日本書記」の一節にあります。
671年4月25日、天智天皇は水時計を設置して鐘や太鼓で時刻を知らせたそうです。
この日を新暦(太陽暦)に換算すると6月10日になることから、この日が記念日とされました。
当時の水時計、これはにわかには信じられませんがサイフォンの原理を利用しています。
水を受ける箱がたくさんあるのにも意味があります。
サイフォンの原理によると、水の流れる速さは管の形状や水位の差によって変わります。
時刻を知るためには水が均等に増えていく、つまり流れが一定である必要があります。
水槽が2つの場合、水が移動するにつれ高い方の水槽の水位は低くなり、低い方の水槽の水位は高くなるので、水位の差が少なくなります。
すると水の流れる速さも遅くなっていき、水面が同じ高さになると流れが止まります。
つまり2つの水槽で水の流れを止めることなく出来るだけ一定に保つには、高い方の水槽の水位が低くならないように、常に水を継ぎ足す必要があります。
当初中国で水時計が開発された時は2つの箱の間で水のやりとりをしていたようです。
しかしこれでは正確な時刻を知るために、ずっと監視しなくてはならないし、水の流れる速さも安定しませんので現実的ではありません。
では水槽を3つに増やすとどうでしょうか?
水槽が2つの時と同様に水が移動することで、一番低い水槽の水位は高くなります。
真ん中の水槽からは低い水槽に水が移動するので水が減りますが、同時に高い水槽から真ん中の水槽に水が移動して来るので、水位はほぼ一定に保たれます。
水の補充も一番上の水槽が空にならないように定期的に補充すれば止まることはありません。
同様に水槽の数を4つ5つと増やすことで、一番高い水槽の水位が低下する影響も分散されて、より精度の高い時計が作れます。
昔の人たちはこの原理を使って水時計を作っていたのです。
すばらしいですね!
現在の私たちは、一昼夜を24等分して1時間ごとに区切った時刻を用いていますが、これは「定時法」と呼ばれています。
日本で新暦が用いられるようになった1872年に定められました。
その後、米国のワシントンで開催された「国際子午線会議」で、英国のグリニッジ天文台を通る子午線が世界の時刻の基準になると、日本も標準時を制定。
その前の日本は「不定時法」が一般的でした。
江戸時代は1日を日の出から日の入りまで(昼)、日の入りから日の出まで(夜)に分けそれぞれを6等分して表しました。
日の出と日の入りは季節のめぐりで変動します。
庶民は日時計を使い、太陽の光でできる影の位置で時刻を知ることもあったようですが、主に寺などで鳴らす鐘の音で時刻を知ったといわれています。
江戸時代の時刻をもう少し詳しく見てみましょう。
何時何分といった概念はなく、およそ2時間を「一刻(いっとき)」とし、さらに約30分ごとで4つに区切りました。時刻の呼び方に使われたのは十二支と数字です。
例えば深夜の零時前後(午後11時~午前1時頃)は十二支の「子(の刻)」で、昼の12時前後(午前11時~午後1時頃)は「午(の刻)」。
「正午」は午の刻のちょうどを意味し、「午前」は午の刻の前、「午後」は午の刻の後が由来しているといわれています。
つづく