昨日の続きです。
長屋の住人たちの暮らしについて書いています。
長屋はプライバシーがないのですが、良いこともあったのです。
江戸は、男性の独身者が多い街でしたが、病気の時などに看病する家族がいなくても、こうした相互扶助が機能していたので暮らしていくことができました。
密度の濃い隣近所の付き合いが長屋の生活を支えていました。
九尺二間の裏長屋での生活はわずか6畳の広さだと紹介しました。
実際はもっと狭いのです。
土間が1畳半ほどを占めるため、実質的な生活空間は4畳半程度にしかなりません。
1人でも大変狭い空間ですが、妻子が同居する場合などはどうなのでしょうか?
現代の感覚からすると、想像できませんが裏店借にとっては、ごく当たり前の住環境なのです。
土間には流しと竈(かまど)が置かれました。
これが台所です。
共用スペースにあった井戸で汲んだ水を運ぶ水桶、水をためておく水がめも置かれていました。
水は柄杓ですくって飲んだり、洗い物や調理などに使用していました。
竈の上には、炊飯用の釜や煮炊きの鍋が置かれましたが、炊事は1日に1回だったのです。
当時は、炊飯のために火を起こすだけでも一仕事ですし、薪などの燃料費もそれなりに負担になるからです。
ですから、3食分を一度に炊きおひつに入れておきました。
長屋の食事は、朝に米を炊いて味噌汁と一緒に食べ、昼はおひつの冷飯で済ませ、夕食も冷飯、お茶漬けにして漬物を添えただけの粗食です。
先ほど、江戸は独身者の男性が多かったと書きましたが、そこは現代と同じで、外食産業が非常に発展していました。
そのため、炊飯は朝だけで済ませることができたのです。
物を置くスペースが限られていましたから、食事用の箸や茶碗は箱の中に入れるようにしていました。
食事の時は箸や茶碗を出した上で、箱をひっくり返しお膳として使用していました。
食器は食べ終わる前に白湯などを注ぎ、きれいに洗うように漬物や箸で汚れを取りそのまま箱に仕舞われました。
炊事の水などもできるだけ節約するのです。
これは箱膳と呼ばれ、食事の時以外は部屋の片隅に置かれていました。
次は居間です。
今は板の間のままでなく、その上に畳を敷くのが普通でした。
畳敷きの居間は4畳半ですが、夜になると、布団などが敷かれて寝室に変わります。
(以前も紹介しましたが、私の大学時代の部屋がまさにこれでした!)
朝には、布団が片隅に片付けられ居間に戻ります。
布団が見えないように高さ90センチほどでL字型の屏風で覆い隠す様工夫がされていました。
この屏風のことを枕屏風といいます。
貧乏長屋ですから、布団なんていうのも薄っぺらいせんべい布団があったら良い方でした。
つづく