hayatouriの日記

はやとうり の独り言

「FIRE」という生き方  その6

 

昨日の続きです。

 

最後にFIREに潜むリスクです。

 

FIREを目指す人は多いですが、FIREには当然リスクがあることも知っておく必要があります。

 

FIRE達成後の生活でも何が起こるかは分かりません。

 

例えば、南海トラフ地震等、大きな天変地異や自分が病気や怪我をしてしまうなど予定外の大きな出費が必要になる可能性もあります。

 

なので、予定外の出費にも備えておく必要があります。

 

また、投資に絶対はありません。

 

資産運用に失敗したり、支出が想定以上にかかるとFIRE生活を続けることができなくなります。

 

FIREを達成すると、仕事を辞めるのでそこでキャリアが止まってしまいます。

 

FIRE後の生活がうまくいっていれば問題ありませんが、何か問題があった時に仕事に復帰しにくいのもリスクです。


もう一つ、これはあくまで個人の問題ですが、「働く」ことをやめてしまう喪失感です。

 

NHKの番組の中でも取り上げられていましたが、「働く」ことを止めて、最初は充実した趣味の生活をしていましたが、何とも言えない人生の「虚無感」に襲われてしまった人がいました。

 

ついには、心療内科のお世話になるなど、心の変化が激しくなりました。

 

しかし、医師たちの助言を受け、再び働き始めると症状はどんどん改善していきました。

 

若い間にFIREの条件を満たし実行した場合、その人生が良くも悪くも変わってしまうという現実は避けることができないみたいです。

 

ここまで「FIRE」の生き方について見てきました。

しかし私には1つの根本的な疑問が残っています。

低い賃金で将来家庭が持てるだろうか、子供が育てられるだろうか、老後の年金が予定通り支給されるだろうか?

 

など今の若い世代は多くの疑問や不安を抱えています。

しかし、それは個人の責任で解決されなければいけないことなのでしょうか?

国が、社会保障公的年金の水準を切り下げているからといって、その不足分を個人が背負うべきなのでしょうか。

私はその前に国がするべきことがあるのではないかと思います。

 

当然、個人の努力は限界があるはずです。

実際のところ「FIRE」できない国民が圧倒的多数なのではないでしょうか。

日々の暮らしに追われ、公共料金や物価の値上げにさらされ、子育て世代は高い教育費や住宅ローンを払い、賃金はなかなか上がらない中で働いている私たちです。

生活基盤を考えれば、それこそ病気や自然災害、会社の倒産など、一歩踏み外せばすぐに困窮生活が待っています。

私たち自身の生活を自ら防衛するのはもちろん大切なことです。

 

しかし、それが故に国の責任が放棄される事はあってはならないと考えます。

 

憲法十三条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

※現在、国際連合人権委員会は、国際条約である国際人権規約に基づき、「公共の福祉」を理由とした基本的自由の制限が懸念されるため、「国内法を規約に合致させるよう」、また「法的措置をとるべき」と日本国に対して勧告しています。

 

 

憲法第二十五条

1・すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2・国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


さて皆さんはどのようにお考えになりますか?