まず考えてみたのですが、「死に方」にもいろいろあります。
とにかく、まず「自死」はこの際検討外とします。
で、最初に思い浮かぶのは病死の場合です。
そしてどこで亡くなるのかも問題となります。
いくつかのパターンが考えられます。
①病院・老人保健施設などでの予想される死(病死)
これは一般的によくあるパターンです。
私の両親もこのパターンでした。
治療の内容は現段階では置いておくとしても、様々なことが予想できる死です。
②自宅での予想される死(病死)
このパターンも、ほぼ①と同じです。
おそらく、訪問看護などの社会的サービスを受けているパターンです。
③自宅での予想されない死(突然の病死)
訪問看護や介護など社会的支援を受けないまま、心筋梗塞や脳出血など、救急対応ができないまま亡くなるパターンです。
社会や制度とのアクセスが充分取れていないと、発見が遅れるパターンです。
④事故死(自宅)
ガス中毒や火事などの場合です。
⑤事故死(自宅以外)
交通事故や巻き込まれ被害
そして、この5つの死に際して医療関係者以外の立会者(肉親や親類縁者)がいるかどうかさらに2つに分けます。
つまり死の間際に子や親族に「看取りもしくは立ち会い」をしてもらえるかどうかです。
表と裏でつまり10通りの「死に方」があると考えられます。
その際に誤解があってはいけないので、特に付け加えさせていただきます。
「私は配偶者も子もいるし、兄弟もいるからその点では心配ないだろう!」
などと考えていると、とんでもないことに遭遇することが多いのです。
配偶者や子や兄弟、親戚が多くても「たった一人で死ぬ」のを避けられない場合は必ずあるのです。
その背景を探ってみたいと思います。
まず第一に、既に病院で死ぬ事ができなくなっているのです!
一昔前は病院で死ぬことが当たり前に行われていました。
ところが1970年代に入り、医療費の高騰が叫ばれできました。
私が病院に就職した1980年代には、診療報酬による患者の入院期間のコントロールが行われ始めました。
そして、今や、病院の入院期間はどんどん短縮されています。
理由は大きく分けて2つあります。
1つは、病院のベッド数には限りがあり、医療機関としての機能を維持していくためには急患を受け入れられる体制を保つ必要があります。
緊急性を要する患者に医療を提供する病院は、いつ、どのような状態の患者が訪れるのか分からないため、一定の余力を持ちながら入退院の運用に努めるケースが普通です。
2つ目は診療報酬制度の問題があります。
医療機関が受け取る診療報酬は高齢者が長期入院すれば低くなるような設計になっているのです。
超高齢社会の到来で膨張する医療費を抑えるために、一般病棟で90日を超えて入院を継続する場合には病院の利益が少なくなってしまう制度が作られてしまいました。
このため、早いところでは「治療済み」を理由に2週間で転院や介護施設に移るよう検討を促すことが普通にあるのです。
つまり最期の時、病院にお世話になろうと思ったところで、もはや病院に置いてくれるとは限らないのです。
圧倒的な流れは「在宅医療、在宅での看取り」へと変わってきているのです。
多くの医師たちも、その著作の中で「在宅での看取り」が患者さんにとっていかに素晴らしいかを声高に訴えています。
しかし私は、あくまでケースバイケースであってお世話する方もされる方も「こうあるべき、こうするべき」などと無理に考えなくてもいいと思っています。
つづく