いったい突然何を言い出すのかとお思いの方もあろうかと思います。
実は、先日『死に方がわからない』という本をいただきました。
早速読んでみますと「そうそう、その通り」と思うことばかり書かれています。
作者は1人暮らしで50代の文筆業の女性です。
現在お母さんはお一人で元気で過ごしておられます。
ところがこの方は今、本当に悩んでおられるのです。
天涯孤独となった時、自分がどのように死んでいくのかがわからないのです。
そこでいろいろ悩んだ挙句、「こんな死に方は嫌だ!」からスタートして「死に方の勉強」を重ねていくことになります。
この著者は、「死ぬことは怖くはない、ただし何日も発見されないで腐敗していく自分の姿はさらしたくない!」がまず第一希望でした。
こんな事態を避けるためにはどうすれば良いのかから、この本はスタートしています。
また、後々詳しい内容もご紹介していきたいと思いますが、この本が売れた理由がよくわかります。
よく「生まれる時も死ぬ時も、所詮は人間一人ぼっち」などと言います。
私は断じてそんなことはないと言い切りたい!
「生まれる時も、死ぬ時も結局誰かを巻き込んでいる」のが現実です。
赤ちゃんだってそうです。
母親がいるから生まれてくるのです。
生まれた時点で、もうすでに誰かに助けを求めています。
人間は、野生動物の赤ちゃんのように生まれてすぐに立ち上がったりできませんからね。
死ぬ時だってそうでしょ。
よく聞きませんかこんな話?
「オレは死んだら何もしてもらわなくていい!
そのまま焼いてもらって、骨はどっかの山か海へでも捨ててもらえれば結構!」
みたいな話です。
ちょっと聞いた限りでは、人の世話にならないでずいぶん威勢の良い感じがします。
でも考えてみてください。
「じゃあ、誰があなたの死亡診断書を受け取り、誰が役所で火葬許可証をもらって遺体を火葬場に運び、誰がお骨を拾い、誰が許可をもらって山と海に捨てるの?」
死ぬことをひとつを考えても、そこにはそれなりの「作法」があり、誰かがいなければそれはできません。
私も数年間の間に両親を看取ってきました。
先日は、従兄弟が70歳前半でなくなりました。
叔父がいるのですが、夫婦に子はおらず、彼の妻も20年以上認知症のため施設に入所しております。
現実には20年程度一人暮らしを続けてきた叔父です。
昨今、体の調子も良くなく、今はある病院に入院しております。
事態の成り行きから、ちょっとした相談があり叔父の入院手続き等をしなければならなくなりました。
叔父はしっかり者で、自分が亡くなったときのことを考えていろいろ段取りをしていました。
しかし、それでも周りの人たちがいなければどうにもならない事態も発生しています。
今回は最近起こったいくつかの出来事をご紹介して「死に方」について考えてみたいと思います。
つづく