昨日の続きです。
「病院で死ぬ」こともなかなか考えられない世の中がやってきている現実を前回紹介しました。
では、病院で死ねないのであればどこになるのか?
ちょっと大きなところからその方向を見てみましょう。
日本は現在、人口が減少する「多死社会」に突入しております。
2020年に約137.3万人だった年間死亡者数は、団塊の世代が全員75歳以上になる2025年には約153.7万人、2040年には約166.9万人になると予測されています。
これがどれほど恐ろしい数字であるのかは次の数字と比べると一目瞭然です。
2次世界大戦でどれだけの軍人と一般市民が亡くなったか。
諸説ありますが、大体国別の軍人の戦死者数については、ソ連の1,360万人が図抜けて多く、ドイツの325万人、日本の193万人がこれに次いで多くなっています。
「軍人」とは言いますが、所詮、一般国民を徴兵しているのですから「軍人」だからと戦死を正当化するわけにはいきません。
さぁ、ここで2040年の死亡者数と比較すれば、まさに「第二次世界大戦の死者数」に匹敵するような数になっています。
どうです!すごいですよね!
ちなみに要らぬ計算をしてみました。
一人当たりの火葬実費を調べてみました。
燃料価格の推移によって変動はありますが、ある斎場で1年間に使用したガス代を実際に火葬が行われた回数で割ると、1回あたり7420円。別の斎場では8850円だったと言います。
仮にわかりやすく8000円とします。
8000円× 1,670,000 = 133億6000万円となります。
毎年こういう計算になりますからこれだけでも経済的に相当大きなマイナス要因になります。
さて話は元に戻りますが、国はこの天文学的な死亡者数に注目しています。
国は、自宅で最期を迎えたい人が希望を叶えられるように、また、超高齢社会で増大する医療費の削減も視野に入れ、2038年までに在宅死率40%を目指しています。
(私は、どちらかといえば後者の「医療費の削減」こそ真の目的であり、前者はそれを正当化するための付け足し理由と考えていますが)
そのため国は「地域包括支援システム」の構築を進めています。
地域包括支援システムとは何でしょう。
重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい生活を最期まで続けることができるよう、医師、看護師、介護スタッフ、地域包括支援センターなどが連携し、医療、介護、生活支援などを一体的に提供する仕組みです。
私が思うに、キーワードは「最期まで」という部分だと思います。
想像してみてください、10人中4人が在宅死亡する社会を。
私は前回も書きましたが、どこで最期を迎えるかはあくまでその人の現状にあったような形が必要で、誰かに無理を強いるようなものであってはいけないと思います。
しかし、国がこういう方針を打ち出している以上、大きな流れは既にできているのです。
では、在宅で死を迎えるとしましょう。
訪問看護や介護サービスを受けておれば、その場で死亡が確認されるか、少なくとも死んだ後でも短期間で発見される可能性が高いです。
実際に、私が仕事で関わった何人かの方は自宅でお亡くなりになって発見されました。
しかし、その発見は比較的早くなされていました。
発見者は、ケアマネージャーさんであったり、ヘルパーさんやご近所の方であったりします。
世間ではそれを「孤独死」と表現しています。
しかし私は、介護や医療を通じて社会とつながっている点では最低限「許せる孤独死」ではなかったかと考えています。
いや、むしろこれからの日本社会を考えた場合、「この程度」は普通に考えたら上出来なのではないかと考えています。
本当に避けなければいけないことは他にあるのです。
つづく