江戸のグルメについて、もうちょっと深めてみましょう。
江戸の4大名物グルメと言えば、前述した寿司、天ぷら、うなぎの蒲焼、そして蕎麦でしたね。
全てが江戸で独自に進化を遂げたものでした。
寿司は、それまでの押し寿司から握り寿司へと変化しました。
別名、江戸前寿司とも呼ばれます。
また、天ぷらも江戸では「江戸前」と呼ばれる魚を油で揚げたものだけを呼びます。
「コイツぁ、江戸前の天ぷらだよ!」ってなもんだったんでしょうね。
野菜などは「江戸前」とは呼ばず「精進揚げ」と呼んで区別していました。
江戸っ子の大好きな蕎麦の食べ方は「つけ蕎麦」で、ざるに盛った蕎麦を味の濃いつゆにつけて食べました。
つゆに箸でつまんだ蕎麦の下の方を少し浸けるだけでほとんど噛まずに食べるのが江戸っ子のこだわりで、粋な振る舞いとされていました。
上方は「うどん」で、江戸は「蕎麦」!
落語だってそうですね。
上方では「ときうどん」江戸落語では「ときそば」と演目はなっています。
ちょっと脱線しますが、有名な場面がありますね。
さぁ、そばを食べて1文をごまかしたい兄貴分!
いよいよお勘定です。
「ほんなら勘定頼むわ。
ちょっと銭が細かいさかい、あんじょう数えてや。
いくで、うどん屋!
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、 今何どきや?
うどん屋ーへい、九つで
十、十一、十二、十三、十四、十五、十六と、ほなさいなら!
うどん屋ーおおきに、ありがとさんです」
これを真似したいばかりの弟分が、次の日別のうどん屋を探し出します。
奴さん、時間を間違えて出発するのがこのドタバタ喜劇の始まりです。
話をもとに戻します。
鰻の蒲焼は飯と一緒に食べることで、人々の間に広まりました。
この鰻にも江戸の人たちにはこだわりがありました。
大河と呼ばれていた隅田川の吾妻橋(あづまばし)よりも下流や、深川などでとれたものしか江戸前とは呼んでいませんでした。
それ以外の場所でとれた鰻は「旅もの」といって味が落ちるとされていました。
それ以外にも、江戸を代表する土産物だった「浅草海苔」。
面白いつながりなのですが、実は浅草は再生紙の産地だったのです!
あ〜〜〜そうかも!!!
となりませんか?
つまり、当時の紙を漉く技術の最先端を海苔に応用して、紙状にしたというのが始まりだったのです。
実は、浅草で海苔が作られていたのは江戸時代のごく初期だけでしたが、江戸時代を通して浅草で海苔が名物として売られていました。
つづく