昨日の続きです。
なぜ古代メキシコ文明では生贄が捧げられたのかを調べていましたね。
このブログの中でも書いていますが、アステカ王国の特徴は「非常に戦闘的」でした。
そのため短期間で「38の地方と489の町を支配下に置いた」との研究がされています。
ただし基本的に領土欲は薄く、相手を従えて貢ぎ物を受けとる取り決めをするとすぐに帰って来てしまうようです。
政治的には不徹底な統治ですがそれゆえ、たびたび反乱が起こっていました。
アステカの戦争では勢力拡大をはかる一方、敵をとらえて捕虜にすることが重視されていたようです。
とらえた捕虜を生け贄として神に捧げるためです。
ティノチティトランの祭祀地区のピラミッドでも、神官たちが生け贄から心臓を取り出し、頭蓋骨を「スカルラック」という棚に起きました。
アルファベットはありませんが、表音、表意の機能を持つ絵文字があり、数々の絵文書や石像彫刻がそうした出来事を今に伝えています。
↑拡大するとこんな文字です。
では、なぜ生け贄が必要だったのか?
その理由を解く鍵はアステカの創世神話にあると言われています。
日本人が年号や西暦、干支、六陽などさまざまな暦を使用しているように、アステカもまた複数の暦を用いていました。
基本となるのが365日の太陽暦と1年を260日に見立てた祭祀暦の2つです。
この2つを併用していると52年で1周期となるようです。
太陽神を崇拝するアステカの人々は、その創世神話において太陽は神がつくったものとして認識していました。
ここでは太陽や世界は不滅ではなく、いったん終わってはまた繰り返されるものとされていました。
現在の5番目の太陽は、1人の神が巨大な聖なる火に身を捧げたことで出現し、他の神々の命を代償に軌道を描き出したとされています。
この「命を捧げて太陽を動かすという神話が、生け贄の儀礼の大もとになった」と研究者は話しています。
そして神話の中ではひとつの太陽の時代が終わるのはいずれも52の倍数であったようです。
つまりアステカでは52年ごとに危機が到来し、太陽を動かすために犠牲が必要となるということになっているのです。
「人間は、神々が犠牲となって太陽となり自分たちをつくってくれたのだから、自分たちも太陽に活力を与えるために心臓を捧げなければならない」という考え方です。
こうした儀礼は日常的に行われていたようです。
「心臓を捧げるためには生け贄が必要で、そのためには戦争が必要だ」
という風にアステカの人々は太陽を動かしつづけるために戦争をしていたとも考えられているのです。
今回は、古代メキシコ文明のご紹介とその特徴について調べてきました。
機会があれば、ぜひ「古代メキシコ」展に足を運びください。
きっと新しい発見があると思いますよ!