昨日の続きです。
古代メキシコ文明の1つのキーワードが「人身供犠」です。
では、なぜ「生贄」が、それほど重要視されたのでしょうか?
その点について深掘りしてみたいと思います。
現代の私たちからすれば、眉をひそめてしまう習慣です。
ところが当時の人々にとっては、社会の安寧秩序を保持するために、神々だけでなく自らをも犠牲にしなければならないという、利他精神に支えられた儀式だったのです。
↑この石像の平らな部分は、お皿のようになっていて、そこに生贄の心臓などが乗せられたと言われています。
神と人間とが協力して初めて成し遂げられるピラミッドなどの造営には、人身供犠が付きものだったのです。
つまり、古代メキシコの考え方では、トウモロコシや動物たちによって人間が生かされていいます。
食物連鎖の頂点にある人間が、その連鎖の循環を保つために人間の命を自然界に捧げる、そんな「倫理観」のもとに生贄が供されていたというのです。
また、人間は神々が犠牲となって太陽となり自分たちをつくってくれたのだから、自分たちも太陽に活力を与えるために心臓を捧げなければならないという考え方もありました。
この信仰は紀元前15〜16世紀頃から約3千年にわたって信じられ、16世紀にスペインに侵攻されるまで続きました。
古典期マヤでは、王としての正統性を神々に認めてもらうために、戦争で捕らえた人々を人身供犠に供していたと考えられています。
同時に民衆に自分の力を誇示するためのパフォーマンスであったと考えられています。
当時の人々にとっては、社会の安寧秩序を保持するために、神々だけでなく自らをも犠牲にしなければならないという、利他精神に支えられた儀式だったのです。
それはメキシコ以外の文明でも例外ではありませんでした。
たとえば、メソポタミア文明のウルの王墓では、調査によって人身供犠の儀式が最も詳細に解明されています。
発掘者レナード・ウーリーの復元によれば、棺に入った王が墓室内に安置された後、戦車、人々や動物たちは斜めのスロープを下りて地下へ向かいます。
兵士・楽師たちはそれぞれ手に自らの道具を携えて整列し、めいめいが陶器製の小さな盃を手にしていました。
その中に入っていたのは毒薬です。
儀式が最高潮に達すると、それぞれが盃をあおり、静かに墓の中に崩れ落ちます。
そして、すべての儀式が終わると、土で埋め立てられ、王と死出の旅路を共にするのです。
古代メキシコ文明同様、メソポタミア文明でも神に自身を捧げる行為はたいへん名誉なことでした。
また、歴史の父と呼ばれるギリシャのヘロドトスも、黒海沿岸のスキタイ王の埋葬について記録しています。
死せる王と共に殉死させられたのは、料理番、馬丁(ばてい)、侍従、馬などでした。
さらに、1年後には最も王に親しく仕えた侍臣50名が選出され、馬に乗せた状態で王墓の周りに立て並べられました。
つづく