昨日の続きです。
新しい教えを伝えるムハンマドは迫害を受け逃れることになります。
これは非常に大事な出来事で、いまでもこの街を逃れた年をイスラム元年としています。
ムハンマドはさらに活動を続け、信者たちもずいぶん増えてきました。
そこで、仲間を連れてメッカに戻りますが、それを「メッカ帰還」と呼んでいます。
ただ、1つの神のみを信じ、偶像崇拝を認めないのです。
それは武力を用いた強い形で現実のものとなります。
神殿や偶像を破壊しつくし、遂にはメッカを支配下に置くのです。
今でも、中東で起こる内紛等の際、壁に掘られた歴史のある巨大な仏像が破壊されたりする行為が見られますが、まさにそのようなことが当時から行われているのです。
皆さんご承知の通り、メッカはイスラム教において特別な街になっています。
イスラム教徒がやらなければいけないことを五信十行と言いますが、これはシーア派やスンニ派によって少し変わるようです。
その中に具体的には五行として以下のものがあります。
信仰告白(シャハーダ)
「アッラーの他に神は無い。ムハンマドは神の使徒である。」と証言すること。
礼拝(サラート)
一日五回、キブラに向かって神に祈ること。
喜捨(ザカート)
収入の一部を困窮者に施すこと。
断食(サウム)
ラマダーン月の日中、飲食や性行為を慎むこと。
巡礼(ハッジ)
経済的・肉体的に可能であれば、ヒジュラ暦第十二月であるズー・ル=ヒッジャ(巡礼月)の8日から10日の時期を中心に、メッカのカアバ神殿に巡礼すること。
最後の項目に、メッカへの巡礼が入っています。
この項目だけを見るならイスラム教は大変厳しい戒律を持っているように見えます。
しかしこれらの戒律はキリスト教に比べれば、大変緩やかで基本的に「お祈りをしていれば救われる」という内容のものなのです。
ヨーロッパよりも中東で爆発的にイスラム教が広がったのは、このように庶民に受け入れられやすい教えであったということがあります。
例えば、フランスはカソリックが中心です。
フランスでは現在婚外子が大変増えてます。
カソリックの非常に厳しいところは、離婚は絶対に許されないことになっており、それならば結婚しないまま子供を産もうという考えの若者が多いのです。
結婚しなければ将来別れることもできるからです。
そして婚外子が非常に多くなってしまった結果、フランスは国として婚外子も結婚したカップルの子供も分け隔てなく国の支援や社会的なサービスが受けられるようにしたのです。
つづく