昨日の続きです。
この展覧会が第1章から第4章で語られる事はお伝えしました。
第2章「テオティワカン 神々の都」では、紀元前100年ごろ〜紀元後550年ごろ(日本で言うと弥生〜古墳時代ごろ)にかけて花開いた「テオティワカン文明」が紹介されています。
テオティワカン、とは現地の言葉で“神々の座所”という意味だそうです。
マヤ、アステカに比べるとだいぶ耳慣れない名前ですが、テオティワカンは未だに解明されていない部分が多く謎多き文明なのだそうです。
会場ではテオティワカンにあった3つのピラミッドとその出土品が、再現展示によって紹介されるいます。
エジプトのピラミッドが王の墓であるのに対して、古代メキシコでのピラミッドは王権の象徴と共に、様々な儀式のステージ、いわばイベント会場的な役割を担っていました。
近年の発掘ではピラミッドの下に地下トンネルの存在も明らかになったというから、ますます興味深いものになっています。
《死のディスク石彫(せきちょう)》は、「太陽のピラミッド」前の広場で発掘されました。
地面の下に沈んだ、夜の太陽の姿を表したものだと考えられています。
テオティワカンの人々は、太陽は日々、死と再生を繰り返すものと捉えていました。
なるほど死んでいる状態の太陽だから、ガイコツの姿なのですね。
大きく舌を出した表情がちょっとユーモラスです。
テオティワカンの街では、赤を基調とした色鮮やかな壁画が多くの建物を彩っていたと言われています。
そして、この「赤」に視線が集まることになります。
そして第3章「マヤ 都市国家の興亡」では、ついに本展の目玉である《赤の女王のマスク》が登場します。
こちらはメキシコ本国、アメリカ以外では初の公開となる逸品です!
なんと、見た目は赤くないです。
↑これが出土したときの状態です。
全身が赤く染まっていますね。
↑本展覧会に持ち込まれた装飾品です。
↑このような人形に装飾品が飾られています。
↑「赤の女王」のマスクです
仮面の色はむしろ緑でした!
マラカイト(孔雀石)をベースに、目の部分には黒曜石と白ヒスイが使われています。
ではなぜ、このマスクと共に埋葬されていた女性が“赤の女王”と呼ばれているのでしょうか?
その由来は、出土した時の様子をご覧いただければお分かりになると思います。
女性は全身を辰砂(しんしゃ・顔料や防腐剤として広く利用される鉱物)の真っ赤な粉末に覆われた状態で発見されました。
王墓の隣にある墓から見つかったこと、そして王との血縁関係ナシというDNA鑑定の結果を踏まえて、彼女は王妃である可能性が高いと考えられています。
つづく