昨日の続きです。
123便に何が衝突したのか、青山説をご紹介しました。
もう一つは小田周二さんという遺族の方の説です。
この方も様々な状況を調べ上げて本を出版しています。
当時、相模湾上空で無人標的機を敵機に見立てて訓練を行っているのですが、それが誤って尾翼に当たったという説です。
どっちが正しいかは分かりません。
しかし、双方に共通するものは、自衛隊が誤って123便の尾翼を壊したとするものです。
垂直尾翼を失った123便ですが、皆さん普通に考えれば、横田基地に緊急着陸させれば良いのではないかと思われるでしょう。
なぜ、横田基地に着陸しなかったのでしょうか?
実は、当時の情勢はそうでは無いのです。
当時は中曽根内閣の時代でした。
防衛予算をGDP比1%まで引き上げるという政策に対して、日本国中で大きな反対運動が起こっていました。
また、国民の自衛隊に対する理解は現在よりはるかに低い状態にありました。
例えば社会党は「そもそも自衛隊は憲法違反である」論陣を張っていましたし、大きな力がありました。
世論調査でも、中曽根内閣の進める防衛費増強政策を批判的に見ている国民が多数でした。
このように自衛隊の増強には、国民の大きな反発があった時代です。
国民の自衛隊への評価が大きく変わったのは、1995年1月15日の阪神淡路大震災からです。
被災地へ人命救助と支援に向かう自衛隊の姿に国民の評価は大きく変わりました。
そういう時代背景の中で、自衛隊が何かの間違いがあったとはいえ、民間航空機を攻撃してしまうというような事実が発覚すれば、国が持たないような状況になってしまうでしょう。
政府は即時崩壊に追い込まれるのはもちろんのこと、国内は騒乱状態に陥るかも分かりません。
そこで私が想像するに、全てを闇に隠そうと中曽根総理は決断したのだと思います。
そのために何をしなければならないのか?
いろいろな情報をつなぎ合わせると、なんともおぞましい光景が浮かんでくるのです。
実は墜落現場の上野村で発見された多くの遺体は、なんと「完全炭化」していたのです。
当時、警察の資料である写真の現像をしていた写真館の店主はこのように語っています。
「警察の手伝いをして、いろんな遺体の写真を撮ってきましたが、こんなの見たことがないという位カリカリに炭化していました」
遺体を検死したある医師は「まるで二度焼きしたようだ!」と語ったといいます。
時、あたかも真夏です。
山の地面は湿気を含んでいます。
事故報告書では、ジェット燃料が巻き散らされたため、それに引火して、遺体が炭化したとされています。
しかし、ここでも謎が生まれます。
ジェット燃料(ケロシン)は、ガソリンよりも、はるかに火力の弱いいわば灯油に近いようなものなのです。
つづく