hayatouriの日記

はやとうり の独り言

日航123の謎 その13

昨日の続きです。

 

川上さんと落合さんの証言を取り上げてみました。

 

自衛隊のヘリコプターは、その日のうちにすぐに現場を確認しているのです。

 

この墜落事故の生存者を発見したのは救援に向かった自衛隊や機動隊ではありません。

 

事故翌日の午前11時40分ごろ地元の消防団の人たちが生存者を発見したのです。

 

生存者の皆さんは、飛行機後方の座席にいました。

 

墜落した衝撃で尾根から斜度40度の斜面を転がり落ちて、瓦礫の下に埋まり込んでしまったのです。

 

沢の中に落ち込んでしまっていたのが「幸い」したのです。

 

もちろん、亡くなった乗客もいましたが、ここで発見された人たちは炭化していませんでした。

 

完全炭化、つまり、遺体の反対側まで表と同じように炭化しているという事は、その遺体をひっくり返すか、または燃料促進剤のようなものが付着して、ずっと焼け続けない限りそのようにはなりません。

 

山頂付近では、遺体が落下したところに沿って焼損が著しくなっています。

 

逆に言えば、なぜか山頂付近でも遺体のないところは燃えていないのです。

 

そして、一晩中ヘリコプターが山頂付近にて旋回し、物の上げ下げをしている様子が村民に目撃されています。

 

具体的な証言もあります。

 

盆休みで群馬県の実家に帰省していたMさんはニュース速報で123便が墜落したことを知りました。

 

Mさんの年齢は20代前半でした。

 

たまたま実家に遊びに来ていた友人と興味半分でオフロードバイクで墜落現場に行くことになりました。

 

前方上空で2機の戦闘機が旋回していました。

 

この時、後ろに白バイがついてきているので「警察も場所特定している」と思ったそうです。

 

何度か山の頂きに登り、ヘリコプターの音がする方向を探して進みました。

 

この時Mさんたちは既に現場には100名ほどの自衛隊員が来ていたこと、そして被害者の声が谷にこだまして響き渡っているのをはっきりと聞きました。

 

しかも、うめき声の主は、40人から50人はいるだろうと思ったそうです。

 

Mさん達は周りの苦しそうに声を上げる人たちの手当てを自衛隊に頼みました。

 

しかし隊員たちは「手当は後から来る部隊が行うから」と話し、自分たちは手にした50センチ位の丸いバックに地面から拾ったものを黙々と入れ続けていたそうです。

 

その後、3人は斜面を降り、尾根の反対側に出ると向かいの谷でホバリングしているヘリを目撃します。

 

しかし、そのヘリは人命救助することなく、丸いバックを十数個まとめ、ネットに入れて釣り上げていました。

 

全部で70個位のバックを回収していたとMさんは語っています。

 

その後もしばらく3人は現場付近にいましたが、先程の隊員たちが撤収をし始め、交代するように別の部隊が入ってきたことを確認し「これで被害者の方達は助かる」と安心して現場を離れたといいます。

 

つづく