昨日の続きです。
日航123便を追いかける2機の戦闘機が目撃されていたのです。
しかも、地元の小中学生が複数この文集に目撃証言を書いているのです。
ですから、これまでもご紹介したように地元からの報告や米軍などからの連絡もあり様々なチャンネルを通じて自衛隊も国も墜落地点は明確に把握しているはずです。
しかしなぜか、その場所は次の日まで伏せられました。
では、自衛隊戦闘機2機は123便をなぜ追尾したのでしょうか?
そこにこの航空機事故の闇の深さがあるのです。
2013年、事故調査委員会の別冊付録が突然インターネット上に出現しました。
「航空事故調査報告書付録」(JA8119に関する試験研究資料)というものです。
全部で210ページあります。
これは実は1986年に作成されたものですが、どうしてこれを今まで公表しなかったのか疑問が残ります。
その秘密だった文書が国土交通省のサイトにアップされました。
これは今でも誰もが見ることができます。
私もそこにあった資料を1つコピーしてみました。
そこに書いてあった事実は衝撃的でした。
これまで事故調査委員会は、123便墜落の原因は圧力隔壁が破断して尾翼を吹き飛ばしたと述べていました。
国中がおそらくその事故調査委員会の報告を信じていたでしょう。
この「報告書付録」は、墜落の原因はそうではなくて、フライトレコーダーの記録から調べてみると、尾翼の真ん中あたりに「異常外力着力点」があると明らかにしたのです。
要するに、中からの圧力で尾翼が吹っ飛んで123便の操縦がアンコントロールになったのではなく、何かがぶつかってが吹っ飛んだと言っているのです。
これがその116ページです。
そして、尾翼が壊れたから、緩やかな減圧が起きたというのが真実なのです。
これは、墜落までのパイロットの状況や客室の状況と一致します。
「急減圧」ではなく、緩やかな減圧が起きたということです。
これを国土交通省は、公開してしまったのです。
では、尾翼に何が衝突したのか?
現在は2つの説が有力視されています。
1つは、青山透子さんが著書で述べられている説です。
当時、相模湾では自衛隊が護衛艦「まつゆき」の試運転である航行訓練をしていました。
当時は、日本国産の巡航型ミサイルの開発が熱心に進められていました。
8月9日には、日本海の若狭で国産巡航ミサイルの飛行テストが無事成功したのです。
炸薬非搭載(爆発する火薬を搭載しない)ミサイルも「まつゆき」に装備されていたのではないかと言われています。
それが何らかの間違いで発射してしまい、それが尾翼に当たったとの説を発表しています。
俗に言われる青山説です。
つづく