前回の続きです。
広重の作品紹介をしています。
風で傘を飛ばされた男が、慌てて追いかけてるユーモラスなシーンですね。
↑画面を拡大すると、いかにも寒そうな人たちですね。
↑この頃から、江戸庶民の中にもシャボン玉があったんですね。
三井越後屋というのは、ひょっとして今の三井の始まりでしょうかね?
そう思って調べたところ、確かに三井一族であるのですが名前の「三井越後屋」から何か思い浮かびませんか?
縮めると・・・そうです!「三越」となるのです。
この越後屋が江戸で大繁盛するには、独特の商品の売り方がありました。
それまでは、大きなお店の呉服屋さんは、お客さんの注文を聞いて品物を仕入れて納め、俗に言う「盆暮れ」集金が当たり前でした。
しかし、このやり方ではお金の動きがないのです。
三井越後屋は違いました!
店頭売りの現金売りです。
お金の回転が早く商品も次々と変えることができました。
もう一つ、タブーとされていることを破っていました。
それは反物の切り売りです。
それまではテレビの時代劇でよく見かけるような一反売りが原則でした。
つまり必要でない量まで買わされることがあったのです。
三井越後はそれだけではなく「切り売り」を始めたのです。
さぁ、それが世間の評判となって一気に大店の仲間入りをすることになります。
まさに今のコンビニが誕生したような衝撃だったのではないでしょうか。
※ ちなみに画面の奥に見えるお屋敷は、磐城平藩のものです。
磐城平藩は江戸時代に陸奥国(福島県)磐城郡に置かれた藩で、初代藩主の鳥居忠政は1602年から1622年まで10万石を領していました。
その後、内藤政長が1622年から1634年まで7万石、井上正経が1747年に10万石を領しました。
宝暦6年(1756年)には安藤信成が5万石を領し、文久2年(1862年)に3万石に減封されて廃藩置県となりました。
拡大すると、こんな感じで非常に繊細な筆となっています。
最後に肖像画です。
さて、今回も長きにわたりご覧いただきありがとうございました。
次回はこの後訪れたちょっと変わった楽しいミュージアムをご紹介いたします。