hayatouriの日記

はやとうり の独り言

相続で起きた厄介な問題  その3

昨日の続きです。

 

供託への取り掛かりは、まず内容証明郵便を登記簿に載っている織田信長の住所に送ります。

当然そのような人物は不在という理由で内容証明郵便は送り返されました(これが1つの証拠となります)。


司法書士さんも現地を確認し、周辺の住民にも確認をします。


 当然現地でも織田信長の痕跡はありませんでした。


織田信長は数年来その住所が不明なため受領できない。よって供託する」


というような結果となりました。


そして令和3年2月10日供託をもって弁済とみなし、同年2月12日抵当権が抹消されることとなりました。


もう皆さんもお気づきのことでしょうが、当時の貨幣価値があまりにも違いすぎてちょっとびっくりな結果になってしまいました。


なんと供託金が遅延損害金も入れて285円なんですよ!


単純に、明治30年頃の物価と、今の物価を比べるわけにはいきません。


しかし明治30年頃、小学校の教員やお巡りさんの初任給は月に8~9円ぐらい。 一人前の大工さんや工場のベテラン技術者で月20円ぐらいだったようです。


このことから庶民にとって当時の1円は、現在の2万円ぐらいの重みがあったのかもしれません。 


そう考えると現代のお金に直すと「金33円75銭」は約66万円位の借り入れです。 

貸す側は「何か担保に入れてほしい」というような話になったのでしょうか。 

明治時代の田舎の生活は、現金収入が乏しく貧しい暮らしだったでしょうから当人たちにとっては大金だったに違いありません。 

今回の件でももちろん司法書士さんへの料金や諸手続き費用は別途必要です。 

ではそもそもどうしてこんな抵当権が現在まで 残っていたのでしょうか ? 

まず1つ考えられるのは、当人たちの間でお金の弁済は完了していたが抵当権を外すのを忘れた可能性。 

次にこの土地を所有した人たちが抵当権等の法的制度に無関心であったことなどが考えられます。


いずれにしても相続等で困ったことがあるときは専門家の力をきちんと借りることが必要だと思います。

そしてできれば、そのことを発見した私たちの世代で解決したいものです。

 

子や孫の世代に厄介な贈り物を残さないようにしたいものです。