昨日の続きです。
大概の病院には「地域医療連携室」らしきものがあり、そこにはメディカルソーシャルワーカーという人たちがいるわけです。
なぜそういう仕事をする人たちが必要なのか振り返りたいと思います。
ここまでのブログの大枠の流れをもう一度整理します。
◯まず大体の人たちが死ぬ時は孤独死になる。
たとえ家族や肉親が今多くても、いざ自分が死ぬ時はあまりあてにならない。
夫婦でいても、2人同時に死ぬわけではない。
結局、孤独死の可能性が高い。
◯死ぬ時は、病院で死ぬ可能性がだんだん低くなってくる。
医療費や介護保険の削減を目指して、国はどんどん在宅で看取る方向に舵を切っている。
◯孤独死も容認しなければならない時代になったが、「孤立死」は避けた方が良い。
死んで何日も経って腐敗してから見つかる死に方は社会的に考えても無い方が良い。
つまり、何らかの社会のネットワークに引っかかっている必要がある。
◯これらの条件を満たすためには、個々の努力だけではなく、社会資源を人々につなぐ専門的な知識を持った人たちの力が今本当に求められている。
支援を受ける側の私たちとしては、メディカルソーシャルワーカーやケアマネージャーなどの専門職の人々としっかりつながっておくことが安心。
さて、話を元に戻します。
叔父も7月28日に退院し、独居生活を再開しました。
当日、私は立ち会うことができませんでしたが、代わりに妻が立ち会ってくれました。
病院からは、地域医療連携室の担当者、ケアマネージャー、訪問介護を担当する事業所の主任も自宅に来てくれました。
叔父の今後の生活をどのように支援するのか、いくつかの計画が出されました。
叔父は少し動くと呼吸が荒くなり、疲れを訴えています。
介護度は、「支援の必要なし」から一気に要介護2となりました。
この入院の間に、肺に溜まった水は引きましたが、動脈解離が改善したわけではなく、血圧のコントロールと生活支援で何とか日常生活を送れないかというチャレンジです。
ケアマネージャーさんからは、週3回のヘルパーさんの派遣、週2回はデイサービスへの通所の提案がありました。
また家屋内の様々な部署を点検し、風呂にトイレ、勝手口の段差のあるところに手すりをつけることも提案されました。
また、和式トイレに低い便座を置いているため、立ち上がりが苦しいのではないかという判断でこの部分の改善も考えています。
2ヶ月近い入院で叔父の体力も落ちており、とりあえず今の状態の家で1週間様子を見て、さらに必要だと思うサービスがあれば本人から提案してもらうことにしました。
しかし、退院した日に本人から意外な「要望」が出されたのです。
つづく