昨日の続きです。
紙のリサイクルについて書いています。
買うつもりがないのに、買い物に行くことを「冷やかし」とか言いますが、この語源も実は「紙漉き」に関わっているというお話をしました。
さて、江戸では再生した紙はもう一度販売されます。
落とし紙などに使う安い再生紙等として利用されましたが、一部は公文書用紙として使ったとも言われています。
では、他にどんなリサイクル業があったのでしょうか?
まずは「肥取り」です。
もう既にお分かりだと思いますが、このブログの最初の方でも紹介しました。
長屋でたまった糞尿も売り物になっていましたね。
当時は化学肥料などはありませんので、人の排泄物は重要な肥料の原料でした。
このほかにも油を取り終わった菜種や魚なども「油かす」と呼ばれて売買されていました。
かまどなどから出る灰は、染色の定着剤や土壌の改良剤として使用されており、「灰買い」と呼ばれる人たちが開集めていました。
酒屋、醤油などの液体を輸送するときには、樽を使用していました。
販売するときには、通い徳利など別の容器に移すため、空いた樽は「空樽買い」と呼ばれる専門の業者が回収してまわり、再利用されていました。
この通い徳利には、販売する酒屋の店の名前が入っております。
酒を飲み終わったら徳利は酒屋に返してもらうシステムでした。
江戸には「献残屋」(けんざんや)と呼ばれる贈答品を売買する商売もありました。
もらった品物を買取り、これを贈答品として送る人が購入します。
熨斗アワビや葛粉など日持ちのするものが多かったようです。
壊れたものは修理して使いました。
雪駄や下駄などの履物は、長い間履いているとすり減ってしまいます。
雪駄ならば裏の皮を張替、下駄ならば歯を入れ替えます。
当時の歯は入れ替えられるようになっていました。
ちょうど今のハイヒールの踵を付け替えるような感じだったのです。
草鞋ならば細かく刻んで、土壁の材料等に再利用をしました。
この頃、傘は高級品でしたので壊れたら回収し修理して使いました。
傘の紙は柿渋などで防水加工してあるので、破れていても剥がして、包装紙として再利用されました。
また、品物を最後まで使うとの考え方がごく一般的でした。
例えば値段が高く貴重な蝋燭もリサイクルもされました。
裏長屋には蝋燭等もなかったと考えられます。
蝋燭に火を灯して使うと下に蝋が溶けて流れますが、これを集めてまた蝋燭を作ったのです。
今風にいえば、使用済み燃料の再利用で「蝋燭の流れ買い」という商売がありました。
町々を歩いて流れた蝋を量って買っていったのです。
これは余談ですが、流れた蝋には「蝋涙(ろうるい)」という美しい名前が付いております。
次に、木綿の布を例に取ってみましょう。
庶民は木綿でも新品を買う事はありません。
比較的裕福な人でも、古着屋できるものを購入するのは当たり前でした。
古着屋は、各家庭から不要になった品物などを仕入れます。
古着屋で買った服が薄くなったり、破けたりした部分には当て布をします。
裾や襟が擦り切れて大人が着なくなったら、丈等を詰めて子供用に仕立て直し、それでも着るに耐えられなくなったらオムツや雑巾として使用しました。
このように、いろんな業種の人たちが江戸の暮らしを支えていました。
次回は江戸の「職人」について調べてみたいと思います。
つづく