hayatouriの日記

はやとうり の独り言

「江戸の長屋」13 リサイクル編

昨日の続きです。

 

江戸時代のリサイクルはどのように行われていたのでしょうか?

 

そもそもものを捨てないことを前提とした生活だったといえます。

 

よくある話ですが、一見ゴミに見えるものの、他人にとっては宝の山ということがありますね。

 

江戸時代には、不用品を回収して必要とする人に売る商人や、壊れたものを修繕する職人が大勢いました。

 

彼らの多くは、道具などを持って回って訪問してくれますので、わざわざ出向く必要もありませんでした。

 

まだ私の幼い頃には穴の開いた鍋の修理屋さんや傘の修理屋さん、ハサミや包丁を研いでれる職人さんなどが個別訪問をしてくれておりました。

 

思えば、このような職人さんやお仕事もだんだんなくなってきましたね。

 

ここでは江戸時代の紙のリサイクルについて見てみます。

 

そもそも、当時の紙は大変貴重でした。

 

たとえ紙切れ1枚でも粗末にするわけにはいきません。

 

子供が字の練習をするときには、真っ黒になるまで何回も使ったといいます。

 

もちろん使用した紙は回収して再生しました。

 

前回ブログで紹介した『紙屑屋』で「カラス」と呼ばれるまっくろの紙は、まさにこのようなものでした。

 

使用済みの紙の重さを測って買ってくれる「紙屑買い」の人たちが大勢いました。

 

回収後は紙の種類を分別し、リサイクルに回しました。

 

落語の『紙屑屋』のように、紙屑以外の不用品も回収していたといいます。

 

回収した紙は水に溶かして漉き直します。

 

当時は和紙しかありませんでした。

 

和紙の繊維は長いので再生しやすかったのです。

 

(あ〜〜、またちょっと脱線しそう😄)

 

再生の工程で、煮た紙を冷ましたり、水槽に古紙を入れて水を含ませ軟らかくする工程があります。

 

「冷ます」という言葉にご注目ください。

 

その紙が軟らかくなるのに二、三時間はかかったといい、その間、職人は紙を漉くことができないので暇になります。

 

職人たちは、その間何をしたかというと、浅草から近い吉原へ出かけます。

 

吉原の説明はもはや要らないと思いますが、念のため申しますと、江戸最大の歓楽街・遊郭でございました。

 

しかし、仕事中ですし遊女を買う時間はありません。

 

職人が遊べる金銭的余裕もないことでしょう。

 

遊郭のトップスターの花魁(おいらん)や器量よしの遊女のことを傾城(けいせい)と呼びました。

 

漢書に美人を「一顧傾人城,再顧傾人国」と表現しており、古来君主の寵愛を受けて国 (城) を滅ぼす (傾ける) ほどの美女を意味します。

 

これがのちに遊女の同義語となったと言われています。

 

とにかく、城が傾くほどお金がかかるわけですから、一介の職人には手が届きません。

 

そこで、格子越しに遊女の顔を眺めたり、話しかけたりして楽しみ、そのまま帰ってしまうというわけです。

 

この、買う気も無いのに吉原をぶらぶらする紙漉き職人の行為から「ひやかす」(冷やかす)という言葉が生まれたと言われています。

 

つづく