hayatouriの日記

はやとうり の独り言

「江戸の長屋」15 職人編

 

何しろ江戸は大きな町でした。

 

俗に江戸は“100万都市”と言われています。

 

しかし、これは人口調査の対象に含まれていない武家や寺社の人口が町人と同じくらいの約50万人と推定して合わせて「100万人」というわけです。

 

最盛期の江戸の人口は110~130万人だったとも言われております。

 

世界に目を向けますと、1801年のロンドンは人口およそ86万人、パリはおよそ54万人と推定されており、100万都市・江戸は北京などとならんで世界の都市のなかでトップクラスの人口を持つ大都市だったのです。

 

当然のことながら、そこには様々な業種の人たちがいました。

 

当時、職人の重要度や人気、格を踏まえて序列をつけた「諸職人大番附」というものがありまして、人気職人のランキング付けがされておりました。

 

今でいう「なりたい職業ベストテン」みたいなものでしょうか。

 

早速ランキングを見てみましょう!

 

ジャジャン!

 

10位 染物師

 

9位 機織り師

 

8位 建具師

 

7位 畳職人

 

6位 橋大工

 

5位 船大工

 

4位 屋根葺き

 

3位 壁塗左官

 

2位 刀鍛冶

 

そして栄えある第一位!

 

1位 番匠大工(家大工)

 

明らかに特徴が出ています。

 

大工がトップに格付けされているのを始め、屋根葺き・左官等家の建築に関わる職人に人気が集まっていたことがわかります。

 

ちなみに「左官」はどうして左官かと言えば、左官の語源は、平安時代にまで遡ります。 (諸説あります。)

 

奈良時代、宮中の造営および木材の準備をつかさどる役所を「木工寮(もくりょう)」と言い、律令制四等官の序列に分かれていました。

 

壁塗り職人である「属(さかん)」の階級の呼び名からという説が有力とされています。

 

また建築の人気花形職人である大工。

 

職業の呼び名として大工という言葉が一般的に用いられるようになったのは江戸時代も後期になってからのようです。


それまでは、「大匠」と書いて 「おおたくみ」と呼ばれていました。


古くは建築技術者の職階を示していたそうで、木工に限らず各職人を統率する長、もしくは工事全体の長となる人物をさしていたのです。


律令の制定により国家の建設業を担当した役所は、木工寮というところでした。


その役所の担当した技術職の職制は、大工(おおきたくみ)、少工(すないたくみ・すくなたくみ)、長上工(ちょうじょうこう)、番上工(ばんじょうこう)の4職課に分かれていました。

 

行政事務官の役付は、頭(かしら)、助(すけ)、充(じょう)、属(さかん)の4等級。
大工、少工は各一人づつの担当次官の関係であったようです。

 

つまり、大工は建築現場のリーダーとして花形職人だったのです。

 

つづく