昨日の続きです。
少し前のブログの中に死罪や獄門等の違いを紹介していますので、詳しくはそちらをご覧いただきたいのですが、そこに紹介していない死罪についてまとめたいと思います。
下手人とは?
下手人(解死人とも書かれる)は首を刎ねてその死体を取り捨てるものです。
死罪と異なるのは田畑家財の没収がなく、死体は様斬りにもされない点で、死罪より軽い刑となっています。
(う〜ん!これでも軽いのか💦)
これらの刑罰は原則として城下取上(とりあげ)の御仕置場(おしおきば)で執行されましたが、村端で行われたこともありました。
鋸挽とは?
道端に、かくかくしかじかと罪が書かれております。
コイツはこんな悪事を働いたやつだったと。
江戸時代において、「鋸挽(のこぎりびき、鋸引)の刑」は一種の晒(さらし)刑的な意味合いが強かったといいます。
土の中に埋めた箱に罪人を入れ、首だけを地上へと出させ、隣には竹鋸と大鋸を置いておくという罰を与えます。
江戸時代より前の時代では、実際に竹の鋸や鉄の鋸で罪人の首を挽いていました。
戦国時代などは、実際に竹鋸を通行人に挽かせて、ギーコギーコとやっていたという話です。
大体、竹鋸では簡単に死にきれないし、死ぬまでに相当な日数が必要となります。
逆に簡単には殺してやるまいと思うから、このような残虐な方法になるのでしょう。
それにしても、少しでも苦痛を長引かせてやろう的な発想には恐怖を覚えます。
鋸を使ったことがある方はわかるかもしれませんが、取り扱いはそれなりに難しいものです。
ましてや、人の首を切り落とすのは精神的にも参ってしまいます。
人の首を挽けば、どんな大惨事になるか想像できるのではないでしょうか。
しかし、そうは言っても最近でも「首を切り取り」頭部を持ち帰る事件もありましね。
ただし大道にて人前に晒す行為、これは前段階のデモンストレーションなのです。
もちろん、これでは終わらずこの先には、真の「死刑」が待っていいます。
というのも、最期は、刑場で「磔(はりつけ)」に処せられるのです。
つまり、鋸挽の刑にて世間に晒され、引廻しがなされるのも、それは「死」への段階の1つに過ぎません。
苦痛を長引かすることが「問題である」とフランス革命の時代に開発されたのは、例の「ギロチン」という機械です。
実は、フランスでも日本でもこのような処刑に関わる専門家が存在していました。
家業として「死刑執行人」を引き継いでいくのですが、調べてみれば国は違いますが様々な共通点が見つかりました。
そのことについても機会を見てご紹介したいと思います。
次回は「武士には、武士の刑罰あり」と言うテーマで進めていきたいと思います。
つづく