昨日の続きです。
「シャボット裁判」の流れを見ています。
検察は最高裁判所に次の理由をつけて上告ました。
①A女史の苦痛は、肉体的な原因によるものではなかったので、死期は迫っていなかった。
②A女史は鬱状態であったので、自己決定能力に欠け、熟慮した上での自発的要請ではなかった。
③シャボット医師が意見を求めた専門医は、だれもA女史に会っていない。
1994年6月21日に、オランダ最高裁判所は、シャボット医師による自殺幇助事件について、検察側の上告理由の①と②については認めませんでした。
しかし③については、精神的苦痛が理由で自殺幇助を求められた場合には、担当医師以外に最低もう一人の医師が実際に面接診察しない限り「緊急避難」は適用できないとして有罪としながらも、刑罰は科さないという判決を下したのでした。
これは画期的な判断だといえます。
今回の「安楽死について考える」ブログの第3回目に登場するポストマ女医。
このような歴史的経過を踏まえて1971年の安楽死事件で起訴されたポストマ女医に対する1973年に行われた裁判(本誌一四八○号)で、レウワーデン地方裁判所は、このブログの中でも紹介した「安楽死容認四要件」を発表したのです。
再度ご紹介します。
①患者は不治の病にかかっている。
②耐えられない苦痛に苦しんでいる。
③自分の生命を終焉させて欲しいと要請している。
④患者を担当していた医師あるいはその医師と相談した他の医師が患者の生命を終焉させる。
その後、オランダで「アルクマール事件」が起こります。
この事件についても少しご紹介したいと思います。
この裁判の特徴は、オランダで患者の要請による安楽死が正当化された裁判だったということです。
安楽死を願い出たのは95歳の女性でした。
彼女はホームドクターに数回、医学的に生命を絶ってくれるかたずね、1980年4月書面で安楽死の意思表示をしていました。
1982年7月16日の数週間前からそのことを強く望みまた身体も衰弱していましたが、当日彼女と彼女の息子夫婦、そしてホームドクターとそのアシスタントで安楽死について話し合い、ホームドクターは彼女に薬物を注射して安楽死させました。
そのことでホームドクターによって捜査機関に報告され、裁判になったのです。
アルクマール地方裁判所では実質的違法性に欠けるとして被告人であるホームドクターを無罪としましたが、1983年アムステルダム控訴裁判所は1審判決を破棄し、刑を宣告しない有罪判決を下しました。
最高裁はこれについて緊急避難として正当化して本件を控訴審に差し戻し、1994年ハーグ控訴裁判所はこれを受け入れ被告人を無罪とするのです。
結果、1984年11月の最高裁判所の裁決により、ハーグ高等裁判所にまわされて判決されたのです。
この判決により、オランダにおける「本人の意思に基づいて真摯に要請された医師による安楽死の容認」が法的保障に向けて顕著な発展を見ることになったのでした。
つづく