昨日の続きです。
A女史は、医師に息子の延命治療の意義について尋ねました。
医師たちは協議の結果、やりがいのない治療であると告げることになりました。
これを聞いてA女史は、生命維持装置を取り外すように医師に依頼したのです。
装置が取り外される日に、A女史は、長男、次男、そして自分のために墓地を買いました。
次男は、長男と同じ二〇歳で、兄の後を追うことになりました。
その晩、A女史は、それまでにためていた睡眠薬を服用して自殺を図ったのでした。
A女史の妹夫婦も親友もA女史の気持ちが分かっていたので、自殺を図ったA女史を発見した後も、すぐには医師を呼びませんでした。
しかし、A女史は、死ねなかったのです。
死に損なったA女史にとって、生き返ってしまったことは恐怖以外の何物でもありませんでした。
自分の尊厳を保ちながら、安らかに死ねるように幇助してくれる医師を真剣に探し始めたのです。
なぜなら、彼女の「かかりつけの医師」は取り合ってくれなかったし、長男の自殺後に世話になった精神科の医師は、宗教上の理由から拒否されるであろうと思ったからです。
六人の医師に自殺幇助を断られたA女史は、オランダ自発的安楽死協会に救いを求め、シャボット医師を紹介してもらうことができたのです。
シャボット医師は、なぜA女史が自殺幇助を求めるかについて自分自身で納得ができなければ、幇助してあげられないとA女史に伝えてから、調査を始めました。
シャボット医師は、A女史のみならず、A女史の妹夫婦や親友からも話を聞きました。
また、A女史の「かかりつけの医師」や以前彼女を診療した精神科医から、A女史のカルテなどすべての記録を受け取って調査しました。
これらの資料に基づいて、シャボット医師は、精神科医4名と精神療法士、さらにA女史の「かかりつけの医師」の計6名の専門家と相談し、意見を求めました。
このうち、2人の精神科医が自殺幇助に反対した以外には、自殺幇助してあげるしかない、という結論だったのです。
しかし、これらの専門家たちは、A女史を自分で診察はしませんでした。
このことが、後に裁判では重要なポイントとなったのです。
シャボット医師は・・・
「A女史が次男を失った一時的な喪失感による状態ではなく、生きる意義と意欲を完全に失ったA女史には、もはや死ぬことのみが残された人生の目的であり、もし医師が幇助しなければ、苦しみを伴い尊厳を傷つける自殺行為しかなく、それでは周囲の人たちにも必要以上の苦しみと悲しみを与えることになるであろう」
と結論を出したのです。
つづく