既に事故から39年が経過した今となっては、こういう出来事があったということさえ知らない人々が多くなってきています。
「そういえば、大変な事故があった」とご記憶の方も、その記憶は薄れているかもしれません。
ところが、この事故は本当は謎だらけで調査を終わっています。
コックピットボイスレコーダーもフライトレコーダーも全面公開はされていないのです。
実はその裁判は今も続いているのです。
遺族が日本航空(東京都)に対し、墜落機のボイスレコーダー(音声記録装置)とフライトレコーダー(飛行記録装置)の生データ開示を求めた訴訟の控訴審判決が2023年6月1日東京高裁でありました。
土田明彦裁判長は一審東京地裁判決を支持し、控訴を棄却しています。
520人の死者を出し、日本の民間航空史上最悪の事故であるとともに、単独機の事故としては世界最悪の航空事故となっています。
(死者数ではテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故につぎ史上2番目の被害)
また2024年に羽田空港地上衝突事故が発生するまでは、日本航空が起こした最後の機体全損事故でした。
この事故では、乗客乗員524名のうち520名が死亡し、4名が重傷を負いながらも救出されました。
使用機材はジャンボ機と呼ばれているボーイング747-100SR型機です。
運行乗務員3名、客室乗務員12名、乗客509名、総勢524名が乗っていました。
運行乗務員の3名ですが、機長高濱雅己(49歳)さんは総飛行時間12400時間超ベテランです。
そして、副操縦士の佐々木 祐(39歳)さん、航空機関士の福田 博(46歳)さんのいずれも総飛行時間4000から9000時間というベテランパイロットでした。
1985年8月12日、123便は東京国際空港(羽田空港)発大阪国際空港(伊丹空港)行きの定期旅客便で、事故当日12分遅れの18時12分に羽田を離陸しました。
お盆前だったので満席でした。
離陸から12分後の午後6時24分、伊豆半島に差し掛かったときのことです。
機体後部で突然「ボン!」という大きな爆発音がしました。
地上でもこの爆発音を聞いた人の証言がありますから相当な衝撃だったでしょう。
それをごく簡単に説明していきたいと思います。
そもそも飛行機は非常に薄い金属で作られていて、厚さは2ミリから3ミリと言われています。
飛行の際には、機内の気圧を高めていわば風船みたいな状態にして気圧を保っています。
機体の1番後ろの席の奥側には「圧力隔壁」と呼ばれるお椀のようなものがあります。
そこが内部の圧力を受け止めているところです。
※ 与圧区域と非与圧区域の前後を隔てる機体設備で、旅客機や輸送機に限らず、ジェット戦闘機や練習機など与圧系統がある航空機にはほぼ全てに備わっている。
これは隔壁を設けることで、その外側に位置する構造へ与圧に耐える強度を持たせる必要が無くなり、軽量化を図ることが出来るからである。
つづく