昨日のつづきです。
近江商人と言えば、「商売は牛のよだれ」という格言でも知られています。
商いは利益を高く設定するより薄く広いほうが、長く商売ができるという例えです。
それのみだけでなく、公共性のほうに向かっていくのはなぜなのでしょうか?
藤野(その2に登場)さんは、近江一帯が持つ宗教的風土を挙げています。
「近江一帯は、昔から浄土真宗の信者が多い地域で、来世における極楽浄土を信じる者が多かったのです。
なので現世での行いは本人が他界した後も後継世代にも影響を与えると考えられていました。
主が死んでも店が残りますから、その行く末というのはすごく不安を感じたのでしょう。
死んだら後世の手助けはできない。
だから神仏にお願いする。
後世のためにしっかり残し、商いを継続させるために、社会奉仕や施しをするんです」(藤野さん)
もう1つは、浄土信仰の母体となった天台宗が説く「山川草木悉皆仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」という自然に対する畏敬の念だといいます。
(この言葉の意味するものは、「山も川も草も木も、命あるものすべてに仏性がある。すべてが悟れるのだ」です。
つまり、悟りを得る能力のないものはいないということになります。)
藤野さんらは、「自然という大いなるものへの畏れが結果として近江商人のコンプライアンス遵守や浮利を求めない経営姿勢を生んだ」と捉えています。
近江商人のほとんどの家訓には『薄利で商売をしなさい』とあります。
その一方で『安売りはいかん』とも言っています。
安売りせず、然るべき利益はしっかりもらいなさい。
そのために工夫した上で儲けすぎないというのが近江商人の基本となっているのです。
工夫、今でいう「イノベーション」はいつの時代にも求められるのですね。
長寿企業としての現代に残っている近江商人は、昔ながらのやり方を十年一日のごとく守ってきたのではありません。
日々のイノベーションの結果が長寿の歴史を築いたのです。
ところで「三方よし」という言葉じたいはいつ頃からできたのでしょうか。
実は三方よしの言葉は江戸時代にはまだなかったようです。
広まったのは、明治に入り大正を過ぎて昭和になってからだと言われています。
経済倫理を専門にしている麗澤大学経済学部教授の大野正英さんによれば・・・
三方よしが近江商人の理念として登場するのは、「近江商人の研究者である故小倉榮一郎滋賀大学教授が1988年に出版した『近江商人の経営』が最初であり、それ以前には近江商人関連の文献には登場しない」そうです。
したがって「江戸時代の歴史小説などに『三方よし』が出てくるのは誤り」と指摘しています。
また三方よしという言葉自体は、昭和初期に麗澤大学の創立者である廣池千九郎がすでに使用しているようです。
廣池は、江戸時代末期の1866年に現在の大分県中津市に生まれました。
地元で教員生活を送った後上京し、独学で東洋法制史という学問分野を拓き、東京帝国大学からは法学博士号を授与された人物です。
その後、大病をきっかけに道徳研究に入り、「モラロジー(道徳科学)」という概念を提唱しました。
廣池によれば・・・・
精神を重視した質の高い道徳を最高道徳とします。
最高道徳の実践による人間の品性完成の重要性を説きつつ、一方で道徳は経済と一体のものではならないとしているのです。
つづく