昨日の続きです。
マスコミの記事のタイトルには「天才」の文字が並びますが・・・
萩野さん・・・
よくメディアとかに、「天才・萩野公介」と言われていたんですよ。
確かに経歴だけをみたらそう言われるのかもしれないですけど、でも、僕自身はそんなことを思ったことなんて一度もないわけですよ。
僕の思う「天才」というものは練習をしなくても速い人のことなんです。
僕は練習をいっぱいしてきたし、脳みそに酸素が回らないくらいのときも何回もありました。
みんなそういう努力をしてきて、トップクラスになっているんです。
だけど、ちょっとメディアの方の前で言うのもあれなんですけど、メディアは「天才・萩野公介」というものを作り上げるわけなんですよ。
一般の方はそれを見たら思いますよね「萩野公介は天才なんだ」と。
「今まで何も苦労をしてこなかったんだ」「泳いだら自己ベスト、泳いだら大会記録、泳いだら日本記録が出て、泳いだら世界大会でメダルがとれる。だって天才だもんね」と。
だけど僕からしてみたら、それは「僕」じゃないんですよ。
東京五輪を控えていた2019年春。萩野さんは無期限の休養を宣言し、競技を離れました。休養を決める際、平井伯昌コーチに初めて自分の苦しみを打ち明けました。
萩野さん・・・
「お休みをします」「精神的なところがあるかもしれないです」と初めて人に伝えたんですけど、その一言を言ったときに平井先生から「ようやく本心を言ってくれたな」と言ってもらって。
そのときに初めて「平井先生は、僕が言うのを待っていたんだな」「気付いていたけど、あえて言わなかったんだな」ということに気付きました。
意外と周りの人は自分のことを見ているし、自分がわかっていない自分でさえも周りから見たほうが意外とわかっていたりするんだなと。
「自分は“スーパーマン”じゃなくてもいいんだよな」というのをすごく強く感じた瞬間でした。
「それでも生きていていいんだ」というふうに、なんかこう柔らかいというか安心感というか、そういった感情がすごく出ましたね。
もう少し早く自分が心を開いていれば、しんどさを誰かに打ち明けていれば、もしかしたらそこまで大ごとにならなくてすんだのかもしれないし、1週間か2週間、練習を休むぐらいでまた競技に復帰できていたのかもしれません。
それまで萩野さんはメンタルコーチをつけてきませんでしたが、休養に入ってから初めてメンタルコーチに相談するようになったと言います。
萩野さん・・・
僕はすごくよかったと思いますよ。何よりも楽しかったですね。
一番印象に残っているのが、「自分の人生は何が何割を占めているか」というのを書き出したんです。
水泳が占める割合は何割か、プライベートとか趣味に求める割合は何割かというふうに分けて、いま一番自分が求めていることは何かを、競技だけじゃなくて人生そのものをグラフにしてまとめたんですよね。
自分がやりたい人生を歩むために動いていこうみたいな感じだったので、すごく楽しかったです。
オリンピックでメダルをとるかとらないかで、もちろん人生は大きく変わるとは思いますけど、「メダルをとらなかったら死ぬ」「オリンピックに行けなかったら死ぬ」とかそういう問題にはならない。
今まで、後悔することやレース前に諦めたことがいっぱいあって、自分自身で情けないと思う瞬間はいっぱいありますけど、でも、それも全部引っくるめて「自分」なんだなと、今はすごく思います。
つづく