昨日の続きです。
私はこの事態を病院から妻に連絡し、実家に急行してもらうように頼みました。
とにかく今夜の食事をなんとかしなければならないことと、明日の沖縄行きも、もはやかなわないだろうと直感しました。
妻もきっと驚いたことでしょう。
漠然と「いつか将来起こるかわからない最悪の事態」が現実に今起こっているのです。
車に乗せて帰路を急ぎます。
一応会話ができるのが何とか救いです。
病院から戻る頃には、父の夕食が出来上がっていました。
食べる様子を見ているとやはり座位が保てず、体の左側にだんだん倒れていく姿が確認できました。
私はこの様子をスマホのビデオに撮影しておきました。
(これは明日運ばれることになる病院の医師たちに見せることができ、大変役立ちました)
しかし、父は食欲はあるようで無心に食べています。
夕食をほぼ完食したのです。
私は後から、父が左に倒れないように支えていました。
一通り食べ終わった後、とにかく今日はもう寝ようということになりベッドに寝かせつけました。
部屋の明かりをどうするかと父に聞くと、「消しておいてほしい」とのことなので明かりを消して部屋を出て、自分の家に帰宅しました。
当然その日の夜、私たちは慌てて旅行のキャンセルをしなければなりませんでした。
その夜はこちらもあまり眠れず朝を迎えました。
夜が明けるのを待ちかねて、高速道路を急いで走り実家に到着しました。
あらかじめ用意した朝食を温め、あらかたの準備を済ませて父の寝室に行くと、ベッドと壁の隙間に頭を落とし込んだ状態でうつぶせでいる姿が目に飛び込んできました!
しまった!死んでいるのか?
声かけをすると弱いながら返事があります。
しかし体に触れると相当な発熱があり、自分の体を動かすこともできません。
もうすでに私たちでできる事はありません。
ここから救急搬送の手続きが始まります。
救急隊が来てからも大騒動があったのですが、そこは割愛させていただきます。
搬送された病院では、せん妄による様々なトラブルを起こしたり、点滴を引き抜いたり多くの問題を起こしてくれました。
40度を超えるような発熱が1週間ほど続きました。
医師たちはこの発熱をマダニからの感染ではないかと想定して治療をしてくださいました。
多分この病院で死んでしまうのだろうなとその時は思っていました。
私たちも何度かベッドサイドで泊まり込みました。
しかし医師や医療関係者の皆様の手厚い治療のおかげです。
結局父は一命を取り止めて、6月24日搬送先の病院を退院することになったのです。
つづく