皆さんの中でも「看取り」という言葉をご存知の方は多いと思います。
「看取り」という言葉にどのようなイメージをもたれるでしょうか。
そもそも「看取り」が行われるというは、ある意味幸福な条件が揃っているともいえます。
だって、私たちはどのような形で人生を終えるか分かりません。
不慮の事故であれば「看取り」などできるはずもありません。
私の中のイメージでは、「看取り」をされる人と、「看取り」をする人の関係はかなり穏やかで、かつ親密なものなのではないかと思います。
しかし実際に、私たちにとって人が亡くなる時に立ち会う機会は人生の中でもそう多くないと思います。
(もちろん病院等そういうことを仕事にしておられる方は除いてですが)
私の人生の中でも、人が亡くなる瞬間に立ち会ったのは私の両親の時だけでした。
(厳密に言えば、以前病院で仕事をしていましたので、仕事の関係で何人かのご臨終の瞬間には立ち会わさせていただいております。)
しかし私の両親の場合、それは「看取り」ではなく「見送り」であったような気がします。
私が病院に勤めていた頃(1980年から90年代)にも、「看取り」のあり方を病院でいろいろ話し合ったことがあります。
私はその当時病棟の医療事務責任者をしていました。
その当時の病院での「お別れ」は、どうしても医療現場や医療環境が優先されて、家族や肉親が後回しになる傾向がありました。
簡単に言ってしまえば、今まさに生を終えようしている方と家族が触れ合えるのは、もう意識の無い状態かお亡くなりになってからのことがほとんどでした。
最後の最後になって、意識が無くなって個室を利用するのではなく、まだお話ができる段階から個室を利用していただいて、最後のお別れができる時間を持ってもらう方が良いのではないかという意見もあったのです。
私もそのような考えでした。
しかし、そこは市中の一般病院です。
経済的ないくつかの問題が立ちはだかり、実現は出来ませんでした。
私が自分の両親を見送った時も、本当のところは病院で医療スタッフの皆様にお任せしっぱなしという状態でした。
先日「看取り士」という言葉を初めて聞きました。
皆さんも既にご存知の通り、映画で脚光を浴びた「納棺師」というお仕事もあります。
映画で言うところの「おくりびと」ですね。
また、亡くなった人の体と顔を整えて、遺族の悲しみが少しでも和らぐよう、また故人の体の変化による感染の危険から遺族を守る「死化粧師」というお仕事もあります。
今回は、この「看取り士」について考えてみたいと思います。
つづく