hayatouriの日記

はやとうり の独り言

「看取り」を考える  その2

 

昨日の続きです。

 

どうやら「看取り士」の需要はコロナ禍で高まり続けているようです。

 

いつの頃からか、わが国では”病院で死ぬ”という何十年も続くシステムがあります。

 

実際に、つい最近までは特別養護老人ホーム等では終末期の利用者さんでも容体が急変すれば、救急車で病院に運ばれました。

 

最近は施設での「看取り」も行われているようですが、ご家族の意向が「施設内で看取る」としっかり一致しているかなど、それはそれで一筋縄ではいかない課題も残っています。

 

これは実際に私が体験したことですが、病棟でお亡くなりになった方のご遺体を挟んで家族が大声で揉めているのです。

 

もう結構の年齢をされたその方の息子さん達が、ご遺体を押し付け合っているのです。

 

悲しいことですが何度か経験しました。

 

看取り士は「抱きしめて看取る」を理念に掲げ、自宅での最期を支援する活動をしています。

 

民間資格として認定されている一般社団法人日本看取り士会(岡山市)の設立から10年経ちます。

 

有資格者はコロナ前と比べて倍増して全国で2000人を超えました。

 

会長の柴田久美子さん(70)は、

 

「コロナ禍の看取りでは、最期の豊かな時間を共にできず悔いを残している家族が大半です。

 

その悔いは、大きなトラウマになることもあります。

 

病院は看取り方を教えてくれません。

 

プロの手を借りて、後悔のない看取りを果たしてほしい」

 

と訴えます。

 

群馬県内に住むあるサラリーマンの父親(享年77)が潰瘍性大腸炎で入院したのは今年6月でした。

 

ところがまもなく末期の肺がんであることが判明します。

 

コロナ禍の面会制限のため、家族は何が起こっているのかわからないままでした。

 

入院前に元気だった父親は日に日に衰弱していき、7月になると余命1か月と宣告されてしまいます。

 

彼は、2週間に1度の面会日には「家に帰りたい」と漏らしていたようです。

 

自宅で旅立ちの日まで母親の体力が持つのか、離れて住む息子たちがどれだけ支えられるのか?

 

迷った末、一般病棟から緩和ケア病棟への移動を選びました。

 

1週間後、父親は病院で息を引き取りました。

 

「私たち家族に”覚悟”があれば、父の望み通り自宅で旅立つこともできたのではないか」

 

家族はそう悩んだといいます。

 

 

そんな時、手に取ったのが柴田さんの著書「この国で死ぬということ」(ミネルヴァ書房)でした。

 

柴田さんは

 

「必要なのは家族の”覚悟”ではなく、全国で在宅医療体制は整い、希望すれば高確率で在宅で看取れるという正しい認識です」と話すします。

 

「人間は100%死を迎えるのに、死は敗北ととらえられ、子や孫に安心して命のバトンを渡せていません。

 

古くからあった自宅で看取る文化を広げたいからこそ、たった1人で看取り士を始めました」

 

と話します。

 

つづく