昨日の続きです。
実際に閣議決定ができなかった例があります。
かつて中曽根内閣時代に、イラン・イラク戦争がありました。
1980~88年、イラン革命直後のイランに対しサダム=フセイン独裁下のイラクが侵攻して戦争になりました。
宗教的対立、石油資源をめぐる対立が背景にあり、アメリカなどはイラクを支援したのです。
イランが反撃してイラクに侵攻し戦争は長期化、その過程でイラク軍は親イランのクルド人に対し毒ガスを使用して国際的な非難を浴びました。
当時、アメリカの要請もあり、自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣してほしいと要望がありました。
それに乗り気だった中曽根首相は、その派遣を閣議決定しようと動いていたのです。
しかし、当時の官房長官であった後藤田正晴氏が、「もし自衛隊を海外に派遣しようとするのであれば、自分は閣議決定にはサインしない」と大反対しました。
後藤田氏は自らの首をかけてこの閣議決定に抗い、結果閣議決定は見送られました。
閣議というのは、内閣のメンバーである国務大臣(閣僚)の全会一致が原則のため、全員が賛成しないと閣議決定に至らないという原則があります。
それには、個々の閣僚がしっかりと自立した意見を述べ合うことが前提となっています。
ところが、「安倍一強」と言われた安倍内閣の頃から、閣議決定は単に「なんでも了承」の場になっているかのような感じがします。
話を入管法に戻します。
法案はその後、国会で審議入りしたものの、多くの反対の声もあがり、事実上の廃案となった。
現在またこの法案の審議が国会でおこなわれています。
そもそも、2021年の政府案は何が問題だったのでしょうか?
2021年、入管法が審議入りした際、難民申請中の当事者をはじめ多くの人々が声をあげました。
よく聞く言葉ですが入管施設での「収容」とはそもそも何でしょう。
例えば
「仕事を失ってしまった」
「生活に困難を抱えて学校に行けなくなった」
「パートナーと離婚した」など、日常生活を送っていれば起こりえる様々な「変化」があります。
日本国籍以外の人々は、それらが理由で日本に暮らすための在留資格を失ってしまうことがあります。
「収容」とは本来、在留資格を失うなどの理由で、退去強制令を受けた外国人が、国籍国に送還されるまでの「準備」として設けられた措置でした。
人を施設に「収容する」ということは、身体を拘束します。
すなわち、自由を奪うことであり、より慎重な判断が求められるべき措置のはずなのです。
ところが実態を見てみると、収容や解放の判断に司法の介在がなく、入管側の一存で、それも不透明な意思決定によって決められているのが現状です。
そこで皆さんもご存知の事件が発生するのです。
つづく