昨日の続きですが、ちょっと最初に脱線します!
今、G20がインドで行われています。
G20サミット(「金融・世界経済に関する首脳会合」)とは、G7(フランス、アメリカ、英国、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、EU)に加え、アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、中国、インド、インドネシア、メキシコ、韓国、ロシア、サウジアラビア、南アフリカ、トルコの首脳が参加して毎年開催される国際会議のことです。
ところが、皆さんもうお気づきになられましたでしょうか?
「インド」と表記が議長国から消えています。
この写真のように!
インド大統領府が9日の夕食会に招待するために送った招待状ですが、招待状には「プレジデント・オブ・バーラト」と表示されていたようです。
こうした表記にはインドのモディ首相のヒンズー民族主義性向が込められているといいます。
インド政府と与党インド国民党(BJP)はインディアという英国の植民地時代の用語の代わりにバーラトを使うべきと主張しているのですが、これに対し野党は反対しているようです。
さて「インド」はこれからどう変わっていくのでしょうか。
気になるところです。
話を本題に戻したいと思います。
武士の刑罰で「自由を奪う」刑罰についてでしたね。
「閉門」は、将軍と顔を合わせることができる御目見以上の旗本への刑罰です。
屋敷の門に竹竿を×印に打ち付けるため、刑に処されていることが沿道の人々に直接伝わり、非常に屈辱的な刑でした。
門だけではなく窓も塞いでしまいますが、病気の時に医者を呼ぶことや、家の火災を消火する事は許されていました。
「押込」とは、自宅に牢座敷を設置し幽閉される刑罰です。
これには日数が設けられ、100日、50日、30日「押込」などがありました。
武士への刑罰としては、比較的軽いものだそうです。
「蟄居」とは閉門の上、自宅の一室に軟禁状態となる刑罰を言います。
いわば事実上の禁固刑だともいえます。
謹慎と同意にされがちですが、謹慎とは、いわば外出禁止令であって、蟄居はそれよりはるかに重い刑罰でした。
「逼塞」とは、門は閉じられていましたか夜中にくぐり戸から目立たないようにひっそりと出入りする事は差し支えないとされていました。
閉門よりは軽い刑罰でした。
「遠慮」とは、屋敷の門を閉ざした刑罰としては最も軽いものとされています。
刑罰でもあり自発的謹慎でもありました。
潜門(くぐりもん)は引き寄せておくだけでよく,夜間他の者が目だたぬように出入りしても大丈夫でした、
また武士は一定範囲の近親,もしくは家来が処罰されたときには,自発的に謹慎すべきとされていました。
「御預け」とは、御目見以上、かつ500石以上の旗本の場合、入牢もさせずに大名に預けました。
これは事実上の拘禁状態となる刑罰です。
預けた家を転々と替える「替え」、障害とかれることのない「氷預け」というのもありました。
さて、これまで26回にわたり、江戸のシステム等についてブログにあげてきました。
しかし、次から次と宿題が浮かんできてなかなか終わりそうにありませんので、ここは一旦今回で「江戸の長屋」はおしまいとしたいと思います。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。