前回の続きです。
ところで、冷凍設備がない時代にもかかわらず、どうしてみかん問屋は夏までみかんを取っておいたのでしょうか?
冬がシーズンのみかんは、いくら涼しい倉庫の中とはいえ、冷凍しなければほとんどが腐ってしまいます。
実際、みかん問屋は50箱のみかんを保管していましたが、ほとんどが腐ってしまってたった一個だけ無傷のみかんがあったのでした。
みかん問屋の主人は、みかん問屋である以上その信頼に応える義務があるといいます。
いつお客さんが来ても売ることができるように、保存費用をかけてみかんを保管していると番頭に話します。
夏にみかんがないということは、当時の人ならわかっていますから、実際にほしいという客はほとんどいません。
にも関わらず、万一のお客様に応えることができることが、みかん問屋の「意地」でもありそれが信頼になるのだと主人は主張するのです。
つまり多くのコストをかけて、みかんを夏でも保管しているということは、みかん問屋の信頼の程度を示すシグナルの役割を果たしているといえるでしょう。
ちょうど銀行本店の所在地がそれを示しているともいえます。
銀行は預金者の財産である「お金」を守る必要があります。
破綻や倒産の危険があっては預金者の信頼は得られません。
簡単には倒産しない銀行であることを示すために、多くの銀行が中心街に立派な建物の本店や支店を建てているのは、そんなシグナルを発信するためなのです。
さて、夏に一個しかないみかん。
それが存在していることが、みかん問屋のシグナルになっているのであるから、売ってしまってなくなればシグナルとしての機能がなくなってしまいます。
そういう意味ではシグナルを失う機会費用分をみかん問屋は要求することになるのです。
ただし、どうしてもみかんが欲しいという人の足下を見てみかんを高く売りつけたという悪い評判がたってしまうと、みかん問屋にとっては、望ましくない結果となってしまいます。
実は、この落語は江戸版と上方版では、みかん問屋が千両という値段をつける経緯が異なっています。
東京版ではみかん問屋は最初から千両という足下をみた値段を提示しています。
しかし、上方版ではみかん問屋は、最初は番頭に同情して、タダでみかんをゆずってくれるという提案をします。
しかし、番頭が「金に糸目をつけない」と見栄を切ったため、「そこまでおっしゃるか・・・そんなら」とみかん問屋は値段を千両にしたのです。
商人の街だった大阪では、評判がものをいうため、みかん問屋は困っている人の足下をみるような行動は取りませんでした。
ところが番頭が見栄を切ったために、逆に高い値段をみかん問屋がふっかけたのではと思われます。
このように、この「千両みかん」だけではありませんが、落語の中には意外に深い経済学の議論が眠っているのも確かです。
江戸時代の経済の様子もよくわかりますので、興味のある方はぜひ落語の「千両みかん」をお楽しみくださいませ。
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