国連決議のところまで来ましたね。
1947年に国連総会が採択します。
パレスチナの地を、ユダヤ人とアラブ人の2国に分けたうえでエルサレムを国際管理下に置くと。
実は、この時既にユダヤ人たちは建国後のこともいろいろ考えていました。
エルサレムのかなり南側にネゲブ砂漠があります。
なんと、ユダヤ人たちはこのネゲブ砂漠を手に入れようとします。
国際的な世論は「え!何もない砂漠が欲しいのか?」というような受け止めでした。
実際、ネゲブ砂漠には何もありませんし国連もそれを認めました。
ここから経年的に見れば、このような形でイスラエルの支配地域が増えていくことになります。
この後イスラエルがネゲブ砂漠を欲しがっていた理由が明らかとなります。
実はこの砂漠の地下には、天然のウラン鉱脈が埋まっていたのです。
それをユダヤ人たちは知っていたのです。
現在もイスラエルは秘密裏に核兵器を作り続けていると言われています。
「言われている」と表現したのは、イスラエル自身は核兵器の保有を否定していますが、世界の国々は既にそのような認識になのです。
話を元に戻しましょう。
ついに1948年5月14日イスラエルが建国されます。
(イスラエルのみの建国です!)
これには周辺のアラブ諸国は黙っていることができませんでした。
建国の翌日(1948年5月15日)には周辺のアラブ諸国がイスラエルに攻め込みました。
これが第1次中東戦争です。
イスラエルは、建国と同時だったので最初は苦戦したのですが、国連の分割決議で認められた土地は死守しました。
イスラエルはその状態で国をだんだん強く形作っていきますが、パレスチナは相変わらず国にならない状態でした。
周辺のアラブ諸国は、イスラエルに対する憎しみを募らせながら緊張状態が続きます。
中でも決定的だったのが、1967年の第3次中東戦争です。
第3次中東戦争でイスラエルは、パレスチナ人が住む場所とされてきた東エルサレムを含むヨルダン川西岸(ヨルダン領)とガザ地区(エジプト領)を占領します。
同時に国連の統治下にあったエルサレムの併合を一方的に宣言したのです。
皆さんももうお感じになっていることだと思いますが、かつて「被害者」であったユダヤ人や、その国イスラエルが、この段階では加害者の立場に変貌しているのです。
今回のブログでは2000年以上も前から、中東における宗教の歴史を調べてきました。
紆余曲折を経ながら、いよいよ中東の問題もだんだん現在に近づいてきましたね。
「その18」のブログでは、イスラエルがいよいよ加害者として姿を変えていく転換点であったということをご記憶いただければありがたいと思います。
つづく