先日、こんなショッキングなニュースが流れましたよね。
1970年代に起きた連続企業爆破事件に、実行犯として関与していたとして指名手配されていた桐島聡容疑者(70)を名乗る男が、先月29日に神奈川県鎌倉市の病院で死去しましたね。
桐島容疑者は、明治学院大学在学中に過激派「東アジア反日武装戦線」(日本のアナキズム系の極左テロ集団)に所属していたようです。
1975年4月に、銀座の韓国産業経済研究所爆破事件に関与した疑いにより、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていました。
私は国外逃亡したのではないかと考えていたので、50年近くも今の日本で自分の素性を隠して生きるということができたということが驚きでした。
死んでしまった今となっては、どのような方法で生きてきたのか知る由もありませんが、彼が死の直前に自分の本名を名乗ったということは、彼なりの「勝利宣言」だったのではないかと思いました。
警察や公安当局が血眼になって捜索しても「逃げ切った」達成感なのでしょうか。
それとも自らを消して生きてきた「寂しさから解放」されて、最後は自分自身に戻りたかったのでしょうか?
いずれにしても、自らの命の限界を感じの最後の行動だったのですから。
若い頃の写真が国中いたるところに貼られ、いわば国民周知の顔であるのに捕まらないのです。
もちろん、訓練を積んだ捜査官が常に情報をキャッチし「面割り」を行いながら捜査を進めていたのでしょう。
しかし、どうしてもそこには「〜であるはずだ」「〜しているに違いない」というような先入観が生まれると思います。
長年の月日は、人相も体型も大きく変えてしまいます。
例えば、私たちが乗った車が当て逃げされたとします。
車の車種やナンバー、運転手の人相や服装、車の色などを瞬時に記憶することが可能でしょうか?
もっと簡単なことで例えてみると、2日前に食べた夕飯の献立をスラスラと答えられますか?
人間の記憶や判断力は常に間違いを引き起こすと考えておかねばならないでしょう。
実は私が学んだ鍼灸学校の授業で心理学という科目がありました。
講師の先生は、もちろん心理学を専攻する大学の先生です。
少し変わっていたのは、警察学校での授業も行っていたということです。
この先生は、どういう立場で警察学校で授業を行っていたのかといえば、先ほどから説明している「人間の思い込みや記憶の危うさ」について、講義をしていたのです。
例えば、事件の目撃証言が本当に正しいのか?
そこには、ある種の思い込みなどないのか?
犯人逮捕に向けて、誤った情報で動き出してはいけないということを、警察学校の学生たちに教えていたのです。
今回のブログは「思い違い、勘違い」についてまとめていきたいと思います。
つづく