hayatouriの日記

はやとうり の独り言

安楽死について考える その2

前回の続きです。

 

オランダが安楽死を承認するに至った背景を探ってみたいと思います。

 

オランダでは、安楽死容認運動のきっかけとなった1971年の「ポストマ医師安楽死事件」がありました。

 

30年目の2001年の4月10日、オランダ議会上院において62%の賛成で、「要請に基づく生命の終焉ならびに自殺融助法」が制定されることになりました。

 

これが、世界で初めての国家が定めた安楽死容認の法律となったのです。


安楽死を容認する法律の制定に関しては、オーストラリアでつぶされ、米国でも推進する運動はありますがその前途は厳しいものがあります。

 

なぜオランダで可能だったのか、今回は、その背景を探りたいと思います。

 

ポストマ医師事件とは何だったでしょう?


ポストマ医師の実母が、脳溢血で倒れたました。

 

部分麻痺、言語障害、難聴などで苦しみ、ベッドからわざと落ちたりして何度か自殺を図ったが、毎回失敗して死に切れず、「死にたい」と言い続けていました。

 

娘のポストマ医師は、「もういいから、楽にしてほしい」という母親の願いで、安楽死をさせてあげようと決心し、医師である夫に相談したのです。

 

夫は彼女の意思に賛成した上で、「あなたが自分の母親を死なせるのはつら過ぎるだろう。私がお母さんを眠らせてあげる」と自分が違法行為を実施する気持ちを伝えました。

 

ところが彼が実施する寸前に、ポストマ医師は「やはり私が母を楽にさせてあげたい」と言い張って、自分の腕の中に母を抱いて、モルヒネ200ミリグラムを注射して、安らかな眠りにつかせたのです。

 

そして、すべての事情を書きとめた報告書を持って、警察に自首しました。

 

この事件でポストマ医師の起訴が公表されるや、彼女に対する同情と支持が、患者や友人たちをはじめ多くの市民たちから寄せられました。

 

多くの医師たちもともに「ポストマ医師を救え」と立ち上がり、安楽死問題に大きな社会の関心が集まることになったのです。

 

オランダでは、ユニークな「掛かりつけの医師制度」がすでに社会に定着していました。

 

オランダの住民は、国籍に関係なく、必ず自分の「掛かりつけの医師」を決めて、政府に届け出なくてはいけないという制度になっています。

 

患者は、自分の掛かりつけの医師とは友人のような親しい関係で、一般に家族も親しくしているような関係になっているのです。

 

つづく