hayatouriの日記

はやとうり の独り言

日航123便の謎 その7

昨日の続きです。

 

話は最初に戻りますが、国やマスコミも「墜落した現場がわからない」という報道が続きました。

 

この謎については、またの後ほど詳しく取り上げたいと思います。

 

このタイプのジャンボジェット機はエンジンが4機ついています。

 

ところが、この第4エンジンだけが本体から剥がれ落ち、不自然にも粉々に砕け散っているのです。

 

一応、事故調査委員会の公式見解は、「この第4エンジンが1本の立ち木にぶつかりそれでエンジンが粉々になった」というものでした。

 

しかし、そんな事はありえないのです。 

 

なぜならば第4エンジンは1個で7トンもあります。

 

しかも、バードアタックとかしょっちゅう受けるので、相当頑丈にガッシリ付けられています。

 

証拠はありませんが、123便の最後は123便を追尾していた自衛隊戦闘機が、ミサイルで第4エンジンを攻撃し自衛隊機によって撃墜されたとの説を取る人たちも現れています。

 

青山透子さんという元JALの客室乗務員で東京大学大学院を卒業した方ですが、『日航123便墜落の新事実』というタイトルの本を発表しました。

 

事故発生当時、青山さんは現役の客室乗務員でした。

 

死亡した客室乗務員たちとも大変仲良しで、彼女は生涯をかけて、この「事故」の原因を探り続けています。

 

それまでは、いろいろな陰謀説が唱えられてきました。

 

しかし彼女のアプローチは、これまで出版されてきた日航機墜落に関する本と全く違ったものでした。

 

全部具体的な証拠と証言だけで、裏付けがされているのでした。

 

これらの本の中では、伊豆半島上空で123便が「ボン!」という爆発音とともに迷走を始めた直後から2機の自衛隊戦闘機123便を追尾していたと明らかにしています。

 

それは、地上からの多くの目撃証言があり、また子供たちの証言もあったのです。

 

文集『小さな目は見た』『かんな川5』

 

上野町立上野小学校の文集です。

 

事故現場近くの上野小学校・中学校では当日の目撃情報について、当時の子供たちが文集にまとめています。

 

これは事故の犠牲になられた皆様のためにと、子供たちが事故当日に見たものを記憶が鮮明なうちに書き残しておこうという意図で作られた文集です。

 

そしてそこには、公式発表されていないことが多くの子供たちによって書かれているのです。

 

やはり2機の戦闘機が123便を追尾していたということです。

 

公式記録では、自衛隊百里基地所属のF2戦闘機は「墜落後に事故現場に向かった」とされています。

 

しかし、文集によると、墜落前の18時45分ごろに、2機の戦闘機が「123便ジャンボ機を追跡しているのを見た」との内容が複数の子供たちによって書かれています。

 

通常、緊急事態信号「スコーク7700」を受信すると、自衛隊機は、スクランブル発進して当該機のもとに向かいますが、この時に限って事故後に発進するというのは到底理屈に合いません。

 

つづく