今日近所を車で走っていると前方に多分夫であろう男性が運転するホンダスーパーカブ。
後には妻と思われる女性が乗っています。
2人ともかなり高齢で安全運転でちゃんとヘルメットもかぶっています。
その姿を後ろから見ていて
あれ!これいつか見た記憶がある・・・
どこだろういつだろう?
記憶のページをパラパラめくると思い出しました。
叔父と叔母の姿です。
今90歳に近づいている叔父は車の運転ができませんでした。
なのでどこに行くにもホンダスーパーカブで移動です。
妻である叔母も何の免許も持たず自転車しか乗れません。
2人でどっかに出かける時は必ずバイクの2人乗りでした。
和歌山市に住んでいましたが、何度も何度も2人で一緒に出かける姿を見かけました。
叔母はひどい認知症を患い、もう10年以上は施設に入っています。
叔父はその妻の介護をしていましたが、やはり自宅では限界と施設への入所を決めました。
子はいませんでしたがとても仲の良い夫婦でした。
叔父はたびたび妻の施設を見舞い、声をかけ続けていましたが、妻が夫を認識する事はありませんでした。
自分の姉に遅くできた子(つまり私)を本当に自分の子のように大切にしてくれました。
母の葬儀のときには、1人電車に乗り駆けつけてくれましたが、3回忌のときには「ちょっと足が弱ってきて行けそうにないよ」と電話がありました。
叔父は小さな頃に中耳炎を患って手術をしましたが両耳の聴力はあまり戻りませんでした。
若い頃からずっとポケットに入れて集音する形の補聴器を使っています。
この子には何か手に職をつけてもらいたいとの母親の願いで、和歌山市の建具屋さんに就職し職人として定年まで働きました。
当時和歌山市は建具産業が大変盛んだったのです。
先日電話すると
「やっぱり歳やなぁ!今まで歩きに行けてたんやけど、ちょっとしんどなってきたなぁ」
「でも元気にしてるよ」
「心配せんといておくれよ、先々のことも僕はいろいろ考えちゃぁんねよ」
(ちゃぁんね、は和歌山市周辺で使われる方言)
と話しておりました。
母の兄弟で現在存命なのはこの叔父だけです。
いつもニコニコしてて本当に怒った顔など見たことがない人です。
さて、どうして急に思い出したのだろう?
などとは深く考えないようにしておきますね。