江戸時代に流行った病気を調べていた時わかったのですが・・・
(なんでそんなもん調べとんの?とお尋ねの方もいらっしゃると思いますがそれはまたの機会に)
当時の流行病の一位が目の病気なんですね。
やはり当時は衛生的にも良くないし、もちろん抗生物質もありません。
今なら一発で治療できるものが失明していたかもしれません。
各地の神社やお寺に「眼病」を治してくれるとの言い伝えのあるところが多いですよね。
それなら一度この機会に「しろそこひ」と「あおそこひ」も調べておこうと思いました。
ご存知の方も多いと思いますが
「しろそこひ」=白内障
「あおそこひ」=緑内障 です。
今回は「しろそこひ」についてです。
ありがたいことに日本では白内障の手術は病院でも開業医さんでも受けられるようになりました。
しかし勘違いしてはいけないのは、白内障の手術は簡単な手術ではないということです。
詳しくは割愛しますが非常に繊細で、高度な技術が必要とされます。
白内障は現在でも世界の失明の原因の第一を占めています。
私の近所の眼科クリニックの医師もアジアの発展途上国に乗り込んで、現地で白内障の手術を広めておられました。
実際、私が小さい頃には近所の何人かのおばあちゃんの瞳が白く濁っていました。
家の中を手探りでよちよちと歩いている姿が目に焼き付いてます。
今から思えば白内障だったのでしょう。
そこで白内障の手術の歴史を調べてみますととんでもないことがわかってきました。
白内障は80代になるとほとんどの方は白内障になっているといわれており、とても身近な病気です。
今では白内障手術といえば、にごった水晶体を取り除き代わりに眼内レンズを挿入する手術が主流で、安全になっていますが昔はどうだったのでしょうか。
白内障の歴史はかなり古く、紀元前800年ごろからインドで行われていた手術の記録が残っています。
当時の手術方法は単純で、針金を眼球に刺し、水晶体を硝子体内に落とすという「墜下法」が医学書に記されています。
解剖図
(イヤイヤ!😖 こりゃあ〜なんとも!!)
この「墜下法」はほんの200年ほど前まで行われていたといいます。
例えば、皆様お馴染みの錠剤(お薬)で考えてみましょう。
白い錠剤がブリスターパックに入っていますね。
この錠剤を濁った水晶体と考えましょう。
上から指で押せば下のアルミが破れて錠剤が落下します。
そうするとプラスティックカバーは透き通って見えます。
この原理です!(ちょっとどうかなぁ(^^))
当時は、白内障とは『脳から悪い白い水が落ちてきて目にたまったもの』だと考えられていました。
当時は麻酔がありませんから、身体を寝台やイスに縛り付けられ痛みに耐えたといいます。
まさに命がけで激痛に耐える「拷問」的なものだったのです。
しかもこれ自体は成功したとしても、その後の術後処置等はとても心配です。
かえってまずいことが起こるような気がしますね。
そんな恐ろしい手術を受けると決意した人たちもいたのだと驚愕しますね。
それだけ失明が怖かったのでしょう。
つづく