JAXAのH3ロケット初号機が2月17日、鹿児島県の種子島宇宙センターで打ち上げ直前に本体の電源システム異常により打ち上げを中止しましたね。
JAXAの歴史については私のブログの中で紹介していますので「そうだったのかロケット開発!」のブログをご覧いただければ幸いです。
ちょっと面白い情報が入ったので、今回のブログにします。
もうずいぶん前になりますが、1990年12月1日に記者会見が行われました。
場所は、モスクワ市の南東2000キロの所、世界最大の宇宙基地バイコヌール(褐色の宝という意味)。
なんと、面積は四国の半分、アメリカのケネディ宇宙センターの9倍の大きさがあります。
やはり当時のソ連はアメリカを意識して、宇宙競争に負けない設備を保持していたのです。
明日宇宙に飛び立つ秋山豊寛さん達クルーの記者会見です。
当時のお写真ですが、ご記憶にある方も多いのではないでしょうか。
メインとサブの6人は打ち上げ2週間前から隔離されて最終調整に入ります。
宇宙ステーションに病原菌を持ち込まないため、彼らの建物への一般の立ち入りは厳禁です。
特別許可を受けた者だけが、それも厳重に医学チェックをされ、あらかじめ滅菌消毒を施されて、やっと入れるという仕組みになっています。
ですからこの日の記者会見もガラス越しで行われました。
宇宙開発は、アメリカもソビエトも防衛産業に直結していたので最高機密です。
冷戦時代は、西側の人間がソ連の宇宙船に乗るなど考えられませんでした。
それがゴルバチョフのペレストロイカ政策が進む中で、突然現実のものとなりました。
ソ連宇宙総局が、TBSと商業ベースの契約を結び、TBSの社員を宇宙船に搭乗させることになりました。
この企画は、ペレストロイカの最中にあったソ連側は外資を獲得し、TBS側はジャーナリストを宇宙に送り込むという、双方の利害が一致したことで実現しました。
総費用は約五〇億円にも上ると伝えられ、秋山さんの乗るソユーズロケットには、スポンサーとなる日本企業のロゴがいくつも貼られていました。
しかもその飛行士の選抜、訓練、ロケットの発射、宇宙滞在から地球への帰還に至るまで全てを撮影中継させるというのです。
その背景としては、当時のアメリカがソ連の崩壊によって、宇宙開発の技術が拡散するのを恐れていたことがありました。
なので、彼らの技術をどうにかして支える必要があったです。
そういうアメリカの国家安全保障上の要請と、ソビエト当局との思惑が一致した先で、TBSプロジェクトが実現可能になったと考えると辻褄が合うような気がします。
つづく