前回の続きです。
イエスが磔で処刑されたところまでご案内したと思います。
ところがその3日後です。
イエスは墓に入れられましたが、その墓は空っぽになっていたのです!
イエスは復活しているのではないかとの噂が飛び交います。
しかも、各地でイエスの目撃情報が寄せられるようになりました。
そしてイエスは様々な奇跡を起こすのです。
数々の奇跡を起こし、最終的には天に召されます。
以前紹介させていただいたように、ユダヤ教の中に「救世主伝説」というものがありましたね。
その救世主こそが、イエス・キリストではなかったのかというのが、キリスト教の基本的な考えなのです。
イエス・キリストという名前ですが、イエスと言うのはどこにでもある名前だそうですが、「キリスト」は救世主を意味するといいます。
イエスの昇天後、「イエス・キリストこそが、ユダヤ教における救世主であったのだ」とその弟子たちは何年もかけていろんなところでイエスの考えを広げるのです。
「神を信じれば誰でも(ユダヤ人でなくても)救われるのです」
そうすると、その教えは人々の心を捉え始めるのです。
しかし、それに対してローマ帝国が反応します。
イエスの教えを広める弟子たちを弾圧し始めるのです。
ここで大事な事は、イエス・キリストが自らの宗教を「キリスト教」として布教したわけではありません。
弟子たちが活動する間に広まった考えがいつしか「キリスト教」と呼ばれるようになったわけです。
俗っぽい表現をすれば、ユダヤ教2.0バージョンとでも呼べば良いのかもしれません。
信じるものは、民族や身分を問わず救われるという考えはヨーロッパ各地も広まることとなりました。
その頃、ローマ帝国にはネロという皇帝が君臨していました。
皆さんも「暴君ネロ」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか?
おそらく世界で一番有名な暴君はローマ帝国 第5代皇帝ネロでしょう。
16歳の若さで即位したネロは、最初の5年ほどは善政を敷き民からも人気がありましたが、次第に暴虐な本性を現し始めます。
なぜ「暴君」と呼ばれたのか?
二人の妻や母親を殺害し、淫蕩の限りを尽くしました。
さらに64年に起きた「ローマ大火」の罪をキリスト教徒に着せ、人類史上初めてキリスト教徒の大迫害を行います。
この出来事が、彼が暴君として歴史に名を残す決定打となりました。
つづく